昨日はTV番組で対馬の金田城の紹介があった。現地に行った事はないが以前長崎県の高田、林先生の講話をきいたことがあるので,整理してみた。
対馬島中央部、浅茅湾西側の外浅茅の南縁の城山(標高276メートル)の山上に築城された古代山城である。はるか沖合に韓国がみえて、白村江敗戦後の半島防衛の監視拠点であった。
飛鳥時代の天智天皇6年(667年)頃に築城された朝鮮式山城で、西日本各地に築城された一連の古代山城のうちでは朝鮮半島への最前線に位置する。
近世期までに城の所在は失われていたが、江戸に中期陶山訥庵が黒瀬の城山を主張し、1922年(大正11年:後藤守一)・1948年(昭和23年:東亜考古学)の調査で比定が確定され、1985年度(昭和60年度)以降も発掘調査が実施されている。
城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、城山の東斜面において城壁とともに城門・水門・掘立柱建物跡の構築が認められる。特に城壁としては約2.8キロメートルにもおよぶ石塁が全周し、他の古代山城が土塁を主とするのとは性格を異にする。
また掘立柱建物跡の遺構から防人の居住が示唆されるほか、出土品の様相からは奈良時代までの廃城化が推測される。834年の古文書によれば、毎年千人の防人が交代していたようである。古代の対朝鮮半島の最前線としての重要性、また遺構の良好な遺存状況と合わせて、文献上では知られない当時の防人配備の実情を考察するうえでも重要視される遺跡になる。テレビでは最強の城と評価されたが、激戦の跡ではないようだ。
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