昨日は世界遺産のペトラ遺跡を作ったナバテア人の歴史がテレビで詳しく紹介された。
紀元前1世紀ごろから、エドム人達を南へ追いやったナバテア人達が居住しはじめる。ナバテア人はアラビア付近の貿易を独占。それにともない岩山に囲まれた要塞のペトラも、ナバテア人の有力都市として栄え、ナバテア王朝が成立した。
紀元前64年ごろ、ナバテア王はローマの将軍、ポンペイウスによりその支配下におかれ、自治は認めたものの税を課し、また砂漠から進入してくる異民族の緩衝地帯とされた。そして、水路が作られ、ローマ風の建築物の造営がこのころ始まった。
紀元後1世紀の初期には、ナバテア王であったアレタスが隣接するペレアの領主ヘロデと仲が悪く何度も争い事があり、最後はアレタスが勝利したものの、宗主国であるローマ帝国が割って入り、戦を仕掛けたアレタスに問題があるとして処刑した。
紀元後105年に、ローマ皇帝トラヤヌスが反乱を起こしたペトラを降伏させ、106年には、ペトラとナバテア人はローマのアラビア属州として完全に組込まれた。
663年、イスラム帝国によってこの地域が征服され、ペトラが主要通商路から外れると、ペトラは次第に衰退していった。
ペトラ遺跡は有名だが、ナバテア王家は小国で寿命も短かったため、一般の世界史の図書には記載されていない。
その後青柳名誉教授も参加された、詳しい歴史番組も放送された。
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