2021年11月1日月曜日

日本の名刀5種(NHK番組で紹介)

名物波游ぎ兼光
南北朝時代に備前で活躍した長船派(おさふねは)の刀工・兼光により作られた打刀である
 干潮を発端とした渡し場での客同士のトラブルで、客の片方が斬られたあと、反対側の岸に泳いで辿り着いたところ体が二つに分かれたことから名付けられたとされる。

名物骨喰藤四郎

鎌倉時代の刀工・粟田口則国の子とされる藤四郎吉光により作られた刀である。

骨喰藤四郎は藤四郎吉光作の刀としては珍しく薙刀として作られたものが、のちの刀剣に改造されたものである。

骨喰(ほねばみ)の名の由来には、戯れに斬る真似をしただけで、相手の骨を砕いてしまったためと説明されている。


骨喰藤四郎の下部彫刻



今川義元左文字

義元左文字

左文字派の祖である左文字(大左)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて博多で活躍した刀工であり、「左衛門三郎」の略と伝わる「左」の一字を銘に切ったことから左文字と称されるようになった
元々は1536年(天文5年)戦国時代に畿内を支配していた三好政長(三好宗三)から甲斐守護武田信虎(武田信玄の父)へ贈られた刀である。これは宗三の主君である細川晴元正室(左大臣三条公頼の娘)の妹である三条の方が、信玄の継室として嫁いだことをきっかけに贈られたものである。本作が贈られた背景として、当時宗三が三好家嫡流の長慶と対立関係にあったことから、主君晴元および武田家を味方につけたかったためである。翌1537年(天文6年)には、信虎の娘が駿河今川義元へ嫁いだことから、婿引出物として信虎から義元へ本作が贈られた。義元は本作を自分の愛刀として大切にしていたと伝わっている。その後織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の手にわたる。


村正1

村正2

村正の銘

史上最も有名な刀工名の一つで、武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に将軍徳川家康関白豊臣秀次天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。

技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)などの様式を広めた。

また、江戸時代以降は妖刀伝説の風評が人口に膾炙して被害を受けたが、倒幕の象徴として西郷隆盛志士に愛用され、一方で歌舞伎浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。

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