昨日のブラタモリは、糸魚川の断層にある親不知の難所であった。
昔は断崖の下の海辺を、荒波を避けながら通り抜ける難所で、親不知・子不知となずけられていた。
この断崖絶壁の難所の地形はどうしてできたのか?
太古の日本列島は、ユーラシア大陸の一部であった。
2000万年前、地球プレート移動の歴史のなかで、日本列島の分離と折れ曲がりが発生して、親不知の断崖絶壁ができた。日本アルプス山脈の北端子である。
また糸魚川・静岡の断層線も発生した。
糸魚川では、ヒスイの原石が多く発見されている。
日本では、「縄文時代」の初期に「イザナミ」が「翡翠護符」として用いたのが、「翡翠文化」としての始まりであり、「世界最古」の「翡翠文化」といわれている。
さらに詳しく地質を調べると、屈折部はフォッサマグナという複雑な地質になっており、さらに、1500万年前に、フイリッピンプレートとの衝突もおこっている。
地殻の尤も入り乱れた地区である。
芭蕉の奥の細道の寄稿でも、彼はこの難所そのものは疲れはてて、俳句になっていない。
その前と、後に有名な句がある。
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