日本人の風呂好きは、気候風土に神道の影響か?
奈良の都から筑紫の大宰府帥として着任した大伴旅人は任地で妻を亡くした。その大宰府政庁の南にある現在の二日市温泉で
《湯の原に鳴く葦鶴はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く》
と詠んでいる。
この万葉集に収められている歌について『萬葉集とその世紀』(北山茂夫著)は休養のために温泉地を訪れ、亡き妻の念を深めこの歌を詠んだのだろうと注釈をつけた。字面だけを追えば、なるほどと思う。
しかし、「万葉集」は神道古典である。。神道と「万葉集」との関わり。
「湯」は「斎(ゆ)」に通じ、地底からわき出る泉(温泉)は地底の「黄泉の国」とつながっている、あらたな魂の「よみがえり」を願っての禊(ミソギ)である。
従来、妻を亡くした男が、淋しさを温泉で紛らわしていたものとばかり思っていたが、大伴旅人は妻の新たな魂の「よみがえり」のために禊(ミソギ)をしていたことになる。
神道を背景にした慣習とはいえ、都から遠く離れた任地で湯につかり亡き妻と会話をしていたのだろうなと思うと、大伴旅人の哀れさが増してくる。
更に、風呂桶のことを湯船とも呼ぶ。
この船とはこの世(現世)とあの世(来世)とを行き来する聖なる乗り物である。
無意識のうちに、入浴という形で日本人は神道における祓いや禊といった行為を日常生活の中に組み入れている。
多くの日本人はなんの疑問も抱かずに年始には神社に参詣するが、このことは特別な行為でもなんでもなく日常生活に溶け込んだ神道の一つの行為である。
神話の世界の延長という認識で神道を見ていたが、「万葉集」という作品の裏に隠れたもう一つの深い意味がある。
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