終戦後の日本分割統治計画
ポツダム宣言では、日本の四島一括統治とされていたが、戦勝国の間から 異論がだされた。
日本の分割統治計画とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後米・英・ソ・仏 4 カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国 それぞれが統治しようとした計画である。
アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の分割統治計画。
アメリカにある国立公文書館に現存する計画書によると、
・北海道・東北 - ソ連占領地域
・関東・中部(福井県を除く)及び三重県付近 - アメリカ占領地域
・四国 - 中華民国占領地域
・中国・九州 - イギリス占領地
・東京 35 区 - 米・中・ソ・英の共同管理
・近畿(三重県を除く)及び福井県 - 中華民国とアメリカの共同管理 という計画であった(地図参照)。
これらの計画は、ドイツ領土を、4ケ国で統治した考えと共通している。
しかし多国籍での管理が複雑すぎて、ドイツでは問題が多発した経験から、マッカーサー元帥は、アメリカによる一括管理を貫いた。
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