日本で相撲がおこなわれるようになった歴史は古く、日本書紀や古事記など、日本神話が載っているような古い文献にも、相撲の記述が残されているほどである。
古墳から力士を模した人形が出土していることからも、4世紀ごろには既に相撲があったと推測される。
神話の中の天覧試合では、当時出雲国にいた野見宿禰(のみのすくね)と大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)という2人の力自慢が対決しており、キックやパンチも繰り出される取っ組み合いだったとか。
日本以外の外国でも、同様の力比べの競技は、古くからおこなわれていた。
先日のTVインタビューで、花田氏(元貴乃花)が、相撲は、ヘブライ語だとおっしゃっていた。
歴史的には、ヤコブが、天使との角力に勝利して、イスラエルとなったわけだが、多くの方が、その角力(相撲)が暗示する事には、お気づきになられない。
海外での角力とは、天使(神々)との関係性の逆転という事だ。
坂矛(逆鉾)は、とっさ、無条件の反射、反射神経に、その秘密がある。
写真は、高原町の高千穂の峰、ナギナミ尊の天の坂矛。
相撲には神事としての歴史と、肉体の鍛錬のための歴史がある。
肉体の鍛錬のための相撲は、792年(延暦11年)の健児(こんでい)の制から始まって、徴兵制を推し進めるため、相撲が選抜競技とされた。
武技として相撲を積極的に取り入れたのは、武士中心の社会へと変わった保元・平治の乱(1156・1159年)からになり、武士の実戦技術として相撲が根付いていく。
武家として相撲を好んだのは源頼朝だ。
源氏の守護神社である鶴岡八幡宮にたびたび相撲を奉納して上覧(天皇や将軍など身分の高い人がご覧になること)もした。
鎌倉時代以降は、相撲が余興という色合いからは離れていき、武家の鍛錬として受け継がれていった。ここから武家相撲が始まっていると言われている。
武家相撲の場合は、余興というよりも、闘争心溢れる男らしいパワーを共有していた。 戦国武将もことのほか相撲を好み、屈強な力士達を実践力として武将達が競って召し抱えていった。
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