「不弥国は宇美国でなく、フミ(二海)国」
伊都国や奴国はだいたい通説で合っている。
しかし不弥国に関しては諸説がある。
不弥国に求める条件とは…
①海に面している所、港に適した所。
不弥国より投馬国へ行くには”水行”。
だから、不弥国は宇美町などの内陸ではなく、港に適した海岸沿いだ。
宮崎康平も、二つの海と理解し、粕屋郡北部の新宮・古賀付近と推定している。
博多湾の内海と外海を利用できる地域であるから、二海と称されていた。
②奴国より百里で東北方面。
不弥国は奴国から百里の位置にあるが、ちょうど伊と都国と同じ距離感。
倭人伝の記述には、奴国の”東”とあるが、倭人伝の方角は時計回りに45度以上傾いているので、奴国の”東北”方面だ。
③投馬国へ長距離の船旅をするわけだから、船の扱いに非常に長けた人たちがいた。
そして、福岡市東部は海人族の安曇氏の本拠地である。
そもそも不弥国は1000戸しかないのに、大国の奴国2万戸に吸収合併されなかったのは、奴国が一目を置く何かに秀でた民がいたから。
それは海運業などで富を得ていた海人族の安曇氏なのかもしれぬ。
面白い着想ですね。北海道に二海郡(ふたみぐん)があります。函館の北側にある八雲町のある地域で、日本海と太平洋(内浦湾)の両側の海に面しているからの命名です。
返信削除ただ私は、不弥はフミと読まずフネ=舟と呼んで、舟方=宗像(古名宗方)ではないかと考えて来ましたが。
有難うございます。古賀市には船原古墳があり、最近話題になっています。
削除家内の名前がfフミk子なので、少しこだわっております。