2021年11月30日火曜日

「不弥国はフミ(二海)国」:改訂版

 「不弥国は宇美国でなく、フミ(二海)国」

伊都国や奴国はだいたい通説で合っている。
しかし不弥国に関しては諸説がある。
不弥国に求める条件とは…
①海に面している所、港に適した所。
不弥国より投馬国へ行くには”水行”。
だから、不弥国は宇美町などの内陸ではなく、港に適した海岸沿いだ。
宮崎康平も、二つの海と理解し、粕屋郡北部の新宮・古賀付近と推定している。
博多湾の内海と外海を利用できる地域であるから、二海と称されていた。





②奴国より百里で東北方面。

不弥国は奴国から百里の位置にあるが、ちょうど伊と都国と同じ距離感。
倭人伝の記述には、奴国の”東”とあるが、倭人伝の方角は時計回りに45度以上傾いているので、奴国の”東北”方面だ。
投馬国へ長距離の船旅をするわけだから、船の扱いに非常に長けた人たちがいた。
そして、福岡市東部は海人族の安曇氏の本拠地である。
そもそも不弥国は1000戸しかないのに、大国の奴国2万戸に吸収合併されなかったのは、奴国が一目を置く何かに秀でた民がいたから。
それは海運業などで富を得ていた海人族の安曇氏なのかもしれぬ。
奴国の東北方面で伊都国と同じ距離感で海岸沿いの所…となると、私がイメージする不弥国とは、だいたい福岡市東部の海沿いである。二海を広域に拡大すれば、
「新宮・古賀・津屋崎・宗像の弓の松原」といわれる地域となる。


朝鮮通信使の時代でも、この地区の自治体が共同して、対応している。





最近ではこの4自治体の、「しこふむ」などの共同活躍事業が活発になっている。




2 件のコメント:

  1. 面白い着想ですね。北海道に二海郡(ふたみぐん)があります。函館の北側にある八雲町のある地域で、日本海と太平洋(内浦湾)の両側の海に面しているからの命名です。
    ただ私は、不弥はフミと読まずフネ=舟と呼んで、舟方=宗像(古名宗方)ではないかと考えて来ましたが。

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    1. 有難うございます。古賀市には船原古墳があり、最近話題になっています。
      家内の名前がfフミk子なので、少しこだわっております。

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