大河「いだてん」で組織委員会の津島会長と事務総長の田畑が、喧嘩両成敗で辞めさせられた。その理由は当時の新聞に、でなかったが、ドラマではある程度、演じられた。
私は、第五郎本人より、いきさつを聞いたことがある。(第五郎の回顧録より抜粋):敬称略:
事務総長の後任には、外務省の役人だった与謝野晶子の次男与謝野秀がえらばれた。
しかし会長の後任の人選は難航して、4ケ月以上空白だった。最初の候補の石坂泰三が断り、つぎの足立正も辞退した。
S38年の正月の財界会合で、安川第五郎はたまたま隣の席にいた組織委員の高石信五郎に、「まだ会長の目星はつかないですか?」と軽い気持ちで質問した。「貴方がやってくれんか?」という返事に驚いて、話題をかえたという。
1ケ月後に石井光次郎の訪問をうけ、「皆で話し合った結果、あなたにお願いしようということになりました」と告げられた。とんでもないと断れば、石井さんの顔をつぶすことになると思い、「少し考えさせてくれ」と返事した。
この話を知っているのは、石井、川島の二人だけと聞いていたが、川島が口を滑らしらしい。
翌日ゴルフ場にいくと、もう新聞記者が一人きていて、委員長の交渉をうけていますか?と質問してきた。知らぬ存ぜぬでにげたが、プレイと入浴後、帰りかけた玄関には、NHKがカメラを構えているし、妻が入院中の病院にいくと、玄関に記者がまっているし、妻はなにかスキャンダルか何か起こしたのかというので、実情をはなした。
家からは、新聞記者が取り囲んでいるから、帰らぬほうがいいと連絡がはいり、長男の家によって晩飯をすませ、遅く帰宅したら、まだ記者がいて、「今になって辞退したら、国民の袋叩きになるかも」と脅迫がましい言葉までいう始末だった。
次の日曜日の朝、親友の梶井剛からの電話で、「今度は君が引き受けねばならない。日本の名誉にかかわることだ。」という。日頃は、「君は何でも安請け合いをして苦労ばかりしている。キッパリ断ればいい。」と忠告していた梶井の言葉で、もう逃げられないと覚悟をきめた。
二人目の辞退者だった足立正と連絡をとったら、オリンピック終了後の赤字については、責任を持たないと条件をつけなさいとアドバイスしてきた。しかし引き受けるからには、それは責任のがれであるから、条件はつけなかった。・・・途中省略・・・
結果はオリンピックの記録映画の好評で、7億5千万円の黒字を出した。大蔵省は映画製作費を2億5千万円におさえた。
市川監督はカラーでとるには照明装置が必要で、1.5億不足だという。財界人も同意見だったので、財界寄付で1億円増やした。
映画の公開を映画会社に交渉したら、どこも2億5千万で引き受けたら赤字になるから引き受けない。東宝だけが半額にしろというので、収入が1億2千5百万円を超えたら、その6割をリターンする条件をつけて合意した。その結果が上記の黒字である。テレビ時代で記録映画をだれも見ないと思った映画社の判断ミスだった。
いだてんのドラマでは、与謝野秀は登場したが、安川第五郎は登場しなかった。
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