2021年11月4日木曜日

席打駅家推定地


席打駅家推定地 

先行研究によれば、席打駅家推定地は「八反田の古瓦」の記録をもとに(浅島武幹編1940『青柳村誌』)、古賀市八反田付近とみる意見が主流である(木下 1997 など)。

福岡県分布地図 には八反田近隣に「踊ヶ浦廃寺」(250135)が登録されている。

浅島武幹によれば、「踊ヶ浦ト云へル所アリ口碑ノ伝フル所二ヨレバ往昔此地二長者アリテ踊ノ場所二使用セシ所ナリト称スレドモ果シテ如何ニヤ」(浅島編 1940:pp.381-382)とあり、駅家での饗応の場を想起させる地名である。

また、南の青柳篠林地区遺跡では 7 世紀後葉〜 8 世紀の掘立柱建物群を検出した。駅家を管理経営する駅戸は駅家の近隣に集住したとみる意見があり(永田 2004)、駅戸集落の可能性も考慮すべきだろう。

官道推定線 

今回の踏査では三本松山(名児山)の西を通るルート(大高説:大高は木下 1997 を元にしたようだが、 木下は東を通るルートを提示している。)を歩いた。東を通るルート(木下説)の方が平地で、新宮町立花口「佐 屋」、古賀市青柳「才崎」など、塞の神地名がある。


塞の神地名 

古賀市には、塞の神地名として、左谷(筵内)、左谷(久保)、社ノ元(米多比)、さやのもと(小 山田)、佐谷元(青柳)、才崎(青柳)、才木(小竹)があるという(村山 1997)。 

「古賀町の地名 さやのもと さや、さい 古賀町の小字名、俗名の中に塞神、障神、才神(サイノカミ又は サエノカミ)に関係のある地名があります。

古賀ではサイ、サエをサヤと発音したようです。 社の元(米多比)さやのもと(小山田)佐谷元(青柳)佐屋(久保)左谷(筵内)には「さえのかみ」を祭っ たあとがあります。

サエノカミはイザナギノミコトがイザナミノミコトをヨミノクニにたずねてにげかえっ たとき追いかけて来たヨモツシコメをサエギリ止めるためになげたツエから生れた神でワザワイの侵入をサ エギリ止める神として、村の入口、道の辻、峠などに祭りました。」(村山 1997:p.7)  

「サヤ」、「サヤノマエ」は、疫神悪霊の侵入を防ぐために、峠や村境に塞の神が祀られていたことに由来 する(木本 2013:pp.272-274)。

青柳の小字才崎は、席打駅家推定地付近を通る官道に関わる地名の可能 性がある。また、新宮町大字立花口字佐屋も検討の余地がありそうだ。

小竹の字図

ExcavationNewsParagraph149fileja.pdf (fukuoka.lg.jp)







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