西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2021年11月9日火曜日
山田風太郎
テレビで山田風太郎の人生を紹介していた。彼の作品は殆ど知らないが、私と同じ世代なので、戦中派としての戦争観には同じものを感じた。
晩年に不戦日記を出版したが、このため千冊以上の戦争記を読んで不満を感じ、自分の若い頃の日記を再編したものらしい。その作家魂には打たれるものがある。当時の青年の多くは、直接の戦地体験はなくても、現在のような平和優先主義ではなく、祖国の尊厳を愛する攘夷思想は豊かであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿