今朝の浦辺登さんの維新秘話(読売新聞)に、常盤館が紹介された。高杉晋作が潜伏していた茶屋だったそうだ。
明治四十五年三月十九日には「来福中の孫逸仙一行は昨日午前十時寺尾博士、安川敬一郎、松本健次郎、進藤喜平太氏等と共に旅館常盤館(ときわかん)を出(い)で、平岡常次郎氏の嚮導(きょうどう)にて博多聖福寺境内(しょうふくじけいだい)なる故平岡浩太郎氏の墓に展(てん)した。」との記録もある。
旧制福中時代の通学路に水茶屋があり、その名の電停があった。常盤館はその辺りにあった大きな茶屋だった。
社会人になって、昭和20年代後半に、ここで炭坑と電気メーカーと通産省の、防爆機器の技術に関する会合があり、2階の広間に上がったことを思い出した。
まだ天神地区は復興の途中で、会議場所がない時代だった。常盤館がなくなったのは何時頃だろう?
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