南区寺塚の興宗寺には穴観音と呼ばれる円墳があります。5~6世紀ころの円墳で、奥正面の壁石に仏像が刻まれています。
興福寺 |
大岩に刻まれた三尊 |
福岡のこの地区には、百塚といわれる古墳群が多くありましたが、黒田長政が福岡城築城の際に古墳の石を多く掘り出し、使用したため、壊滅した古墳の供養で彫らたそうです。
二代藩主忠之が、脇侍の観音菩薩に祈願して、霊験があったお礼に、岩屋の前に拝屋をたてたので、これを穴観音と呼ぶようになりました。
この穴観音は、加藤司書、平野国臣の少し下の世代の武部小四郎、越智彦四郎らが西郷隆盛の決起に呼応した福岡の変の密議をした場所としても知られています。
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