放送大学で、孫文の歴史と人物像を講義していた。
孫文は生前、日本人とも幅広い交遊関係を持っていた。
政治家では、犬養毅、大隈重信、田中義一、民間人では、宮崎滔天、頭山満(玄洋社)、梅屋庄吉の名前をあげていた。
1911年10月10日、共進会と同学会の指導下、武昌(武漢)蜂起が起き、各省がこれに呼応して独立を訴える辛亥革命に発展した。当時、孫文はアメリカにいた。
独立した各省は武昌派と上海派に分かれ革命政府をどこに置くか、また革命政府のリーダーを誰にするかで争ったが、孫文が12月25日に上海に帰着すると、革命派はそろって孫文の到着に熱狂し、翌1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した。
孫文の評価は一定していない。1970年代以前は被抑圧民族の立場から帝国主義に抵抗した中国革命のシンボルとして高く評価された。
しかし、革命への熱気が冷めた1980年代以降は、孫文の独裁主義的な志向性、漢族中心的(孫文自身、漢民族の一つ・客家人である)な民族主義といった点が問題視されるようになり、現在の権威主義的・非民主的な体制の起源として批判的に言及されることも多い。
大筋は以上のような内容だった。
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