『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社 浦辺登氏の書評
「郷土史学」確立の礎になる一書 『京築の文学群像』という表題だが、京築とは、福岡県東部、瀬戸内に面した地域。現在の、福岡県京都郡、築上郡、行橋市、豊前市一帯になる。
福岡県といっても、明治の廃藩置県により、旧小倉県などが統合されて福岡県が誕生した。現代においても、旧藩が異なれば、気質も異なるといわれる。
京築は、旧小倉藩(豊津藩)の文化を受け継いだ地域と考えた方が分かりやすい。幕末、旧小倉藩は関門海峡を挟んだ長州藩(山口県)との戦いで小倉城を自焼し、この京築に旧小倉藩士たちが移り住み、新たに豊津藩を設けた。ゆえに、文化としては旧小倉藩の藩校「思永館」の系譜に連なる。
この京築は、あの『源氏物語』を英訳した末松謙澄(1858~1920、安政2~大正9)を輩出した。その末松は「水哉園」という学塾で学んだが、塾を主宰する村上仏仙は厳しく漢詩を指導したという。その甲斐あってか、漢詩を好む伊藤博文(1841~1909、天保12~明治42)の知遇を得ることができた。
また、この京築においては、あの堺利彦(1871~1933、明治3~昭和8)は外せない。社稷を忘れ、権門に驕る旧長州藩出身の桂太郎(1848~1913、弘化4~大正2)は、この旧小倉藩の系譜に連なる社会主義者・堺利彦を恐れたことだろう。
続々と京築の文学話が紹介されるが、『ホトトギス』を主宰する高浜虚子(1874~1933、明治3~昭和8)によって汚名を被った杉田久女(1890~1946、明治23~昭和21)について言及するのは必須。権力者・桂太郎によって堺利彦は封印されたが、文壇の権力者・高浜虚子の巧妙な政治手腕で杉田久女は貶められた。これは、文の世界において、許されることではない。まさに、名前の通り、高浜虚子は「虚の子」であった。その虚子の偽りを暴いたのが、増田連(ますだ・むらじ)の著作だが、はたして、広く世間に伝わっているのだろうかと懸念する。
本書を読み進む中で、筆者にとって興味深かったのは、「幕末―明治の郷土を知る」の章だった。会津藩から豊津藩(旧小倉藩)の藩校育徳館に留学した郡長正の自刃の話である。自決に至る様々な説があることに驚くが、是非、会津に残る誤解が解消されることを願うばかりだ。
本書は、1.京築を彩る文化と歴史、2.郷土、美夜古の文献と歴史の二部構成だが、300ページ余に及ぶエピソードには飽きることが無い。膨大な文献を収集し、読破した者でなければ書けない内容である。インターネット情報では知りえない新しい発見がいくつもあった。山内公二氏の「序」ではないが、本書は「郷土史学」という新しい学問体系を確立する礎になりうる一書といえる。
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