史跡永福寺(ようふくじ)跡は、JR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在し、源頼朝が建立した寺院の跡で、鶴岡八幡宮や御所の北東(鬼門)の方向に建立されました。
鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートル
昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。
こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。
東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。
頼朝が幻の大寺院永福寺を建立した思いには、亡くなった武将等の鎮魂のためでけではなく、平泉や京都に負けない偉大な安楽浄土の世界を鎌倉に創建したい思いがあったようです。
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