昨日のテレビで熊大に保管されている膨大な細川文書が紹介され、そのなかに織田信長から細川藤孝あての手紙が59通もあるそうだ。
その一つに、足利義昭の謀反情報をしらせた藤考への礼状がある。その解読の苦労話や、藤孝が義昭から信長に乗り換えた歴史の話が面白く説明されていた。
また、明智光秀が本能寺の変で信長を襲撃したあと、細川に送った文書も有名だ。
しかし残っているのは2通めで、最初の文書は残されていない可能性があるという。2通目には細川が動かずに出家していまったことえの光秀の怒りが書かれているから、細川の本心が証明されるからである。
山本周五郎の文に、「歴史的事実と文学的真実」という言葉がある。
歴史的事実は、その時代の勝者や為政者が残した記録で、かっての大本営発表のようなものだ。文学的事実は、文学者が為政者や敗者や大衆の心理まで入り込んで、真相を追及したものだ。
歴史小説すべてが、真相を語っているか否かは読者のうけとりかたによるが、古文書の記実は疑って見なけれならない。
現在でも改ざん問題が多く起こっている。
細川文書は、その両面をもっているようだ。
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