2022年2月6日日曜日

鎌倉街道の地名などに残る頼朝の歴史

 2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の鎌倉殿こと源頼朝は、石橋山の戦いで平氏に敗れ、逃れた上陸地が南房総でした。

南房総は父祖以来の源氏ゆかりの地。地元の武士たちを味方につけて再起しようと、必死の思いでたどり着きました。

上陸して一休みしていたとき、平家の臣に襲われましたが、のちに「鎌倉殿の13人」の1人になる三浦義澄が返り討ちにしました。

このため一戦場という地名が残り、現在は公園なっています。

その後、頼朝が房総の道を進むにつれて、頼朝軍のもとに源氏ゆかりの武士が、百人、三百人、千人、とあつまり、ついに万人の軍隊にふくれあがりました。


その進軍街道には、百坂、三百坂、千騎坂、万騎坂などの地名がのこっています。

万騎となると、頼朝は全軍の姿を確認するため、丘の上に登って眺めわたしたそうで、その場所が「御所覧塚」として残っています。


千葉市にも頼朝に関連する史跡が点在すます。中央区新宿町にある白幡神社は旧跡の一つです。
この一帯は当時結城が浜といわれており、頼朝討伐に向かう途中に平家方の目代が襲われたことを知って駆け付けた判官代藤原親政と、千葉常胤の孫成胤との間で合戦が行われたとされています。戦後千葉荘に立ち寄った頼朝が白旗を奉納し、また頼朝に従う兵の野営地として使用されたとも。





君待橋。何の変哲もない橋ですが、その名の通り頼朝を迎えた場所という故事にちなんでいます。

その後大軍を率いて、頼朝は鎌倉に向けてまっしぐらに進軍していきました。





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