古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
約1時間の間で、最大6人の参加だった。最初は音声の不調なかたの調整などにてまどったが、次第に参加者の近況報告などで、もりあがった。
3月も同じ時期にまた会合をもつことで、解散した。
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