2022年2月18日金曜日

孀婦(そうふ)岩(伊豆諸島)

 

孀婦(そうふ)岩


孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)は、伊豆諸島の最南端に位置する岩である。

2016年時点で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており本籍を置くことはできず、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。

日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。





孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス帝国ジョン・ミアーズであった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。

ミアーズは、この岩をその不思議な形から、『旧約聖書創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった人物に見立てて「Lot's wife(ロトの妻英語版)」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっており、実際より17度も東にずれているが、その他の部分では正確に記録されているため、測量ミスではなく元テキストの誤記、誤植が原因であると考えられる。

日本語文献では、1885年の『寰瀛水路誌』(海軍省水路局刊)に初めて「孀婦岩」の名が現れる。「孀婦」とはやもめの意味であるが、これは「Lot's wife」を意訳したもので、やがて音読して「そうふ」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。


日本放送協会(NHK)や産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している。

頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。

これらの調査で、過去に海底火山が出来たあとに、中央部にマグマの急上昇があり、その部分が、孀婦岩として残っていると思われる。






2003年活火山の基準が見直された際に、新たに活火山に選定された。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6 km、水深240 mには火口がある。海底から海上に及ぶ形状は、ケーキに立てられた1本のろうそくにも例えられる。

その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に日本山岳会東海支部の池沼慧らが登頂を目指して上陸。しかしメンバーの転落事故により半分ほど登ったところで断念した。

その後、1975年7月21日早稲田大学岳友会の水野生雄と田村俊輔が初登頂に成功した。

2017年5月には増本亮らクライマー2人、NHKカメラマン2人の計4人が上陸に成功している。


しかし安山岩はもろく風化しやすいので、やがて「孀婦岩」は崩壊して消滅する運命にある。



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