2019年8月31日土曜日

日韓の精神文化比較論

日韓の精神文化比較論
20年前の渡部・呉氏対談「韓国の激情・日本の無情」をよみなおし、現在での私見をまとめた。





島国日本は、海峡を隔てた島国だから、他国からいろんな文化が入ってきても、古い文化を保存しつつ、良いものは受け入れ、悪いものは取り入れないという自主性があった。


半島国の韓国は、大陸からいろんな文化がはいってくると、今までのものを捨てて、新しいものにきりかえるという切実な習性があった。



仏教伝来以前の韓国にも神道の神社があったが、仏教が伝わると神社がなくなった。そして儒教が盛んになると、仏教もなくなった。易姓革命の思想で、旧来のものを一新する伝統が強い。

前方後円墳も、日本での衰退期になってようやく韓国でも真似られ出現し、事実上日本が支配していた任那4県において築造されていた。

韓半島は、大陸と地続きだからすべて飲み込まれ、唐以後は文字も制度も大陸のものを全て取り入れた。

日本の百済救援のための軍勢が唐・新羅連合軍の前に大敗を喫し、その後新羅は高句麗も攻め滅ぼし、朝鮮統一を成し遂げた。しかしこの統一が外勢である唐と結託し、血を分けた同胞国を不意打ちする形で実現したために、却って中国への「慕華思想」や「事大主義」、「宗族利己主義」の原型を作った。
例えば唐の元号を採用するかたわら、それまで二字姓だった名前を中国式に一字姓に「創氏改名」し、高句麗の領土であった満州を放棄するなど、中国への属国化を強める結果に陥った。

蒙古来寇の時は、蒙古の手先となって日本攻撃の戦端となった。

稲作文化が韓国から日本に伝わったというが、東北地方の気候に近い半島南部で日本より先に稲作が普及したはずはない。古代では、半島在住の漢民族の努力によりようやく普及した。

日本は、大陸文明への劣等感はあったが、こちらにも日本語があるという対抗感の基盤をもち、万葉集などを残した。
神道の神社も残しながら、仏教伝来後100年間で530も寺院を建設した。

19世紀に、圧倒的にすぐれた西欧文明が流れてきた時、中国、印度、アフリカ、南米などは手も足もでなかった。
日本だけがすばやく対応して、王政復古をやり、西欧式近代文明化の消化に成功した。
その差が日韓併合にまで進んでしまった。

韓国語と日本語には、殆ど共通語彙がない。もともと古代コリア語が残っていない。ソウル大学が出来て、小倉教授が古代コリア語を調査しはじめたが、13世紀の新羅歌謡14首だけが解明されただけだった。

韓国で国文学というと、1900年以後の近代文学が中心になる。
日本の源氏物語からみれば、10世紀の差がある。

韓国もある時期から、漢字を追放した。ハングル文字の採用である。それは有る程度大陸を追放しないと、アイデンティティが守れないと考えたからだ。

日本では、和語で書く伝統が確立されているから、漢字でも横文字でも、どんどん取りいれる余裕があった。

韓国では、漢字の音読みしかないが、日本では音読みと訓読みで、そのまま読み下す方法をつくりだした。

戦後の韓国は、よきにつけ悪しきにつけ日本を意識し、日本との対抗関係に情熱を燃やし続けてきた。


かって、日本政府が日韓併合が円滑であるように、日本人の韓国への好感度を上げようと、韓国の伝統文化を称揚し振興し、日本への貢献を誇張した時代があり、李方子妃殿下が言葉も風俗も違う韓国の王宮に、日韓融和の国家的使命を秘めて単身で嫁がれたこともあった。
そうした日本の朝鮮統治の『負の遺産』が、対抗意識への情熱に火をつけている。
竹島問題やワールドカップなどで、日本を追い越せ!、日本に勝て!式の克日の炎がもえあがり、いまや慰安婦問題、徴用工問題で、日韓関係は最悪の状態になっている。

韓国の学者のなかには、大和国家は百済の植民地だったとの説を唱える人もおり、百済人と古代日本の王族は親戚だと考える韓国人も増えてきた。これが拡大されて、日本列島の人も文化もすべて韓半島から行ったものだという主張にもなっている。

対等な日韓同祖論でなく、韓国民優位主義に立ち、奈良や京都の素晴らしい文化は、我々の祖先がつくったものとか、日本が経済大国になったのは、韓民族の優秀な血が流れているからといった論評が多くなっている。劣等感を裏返しにした優位主義で、屈折した論理である。

しかも最近韓国は、日本に対しては何を言ってもいいというムードができている。Wカップの時も、「神は我々を選んだ」(日本は呪われた)という表現をした。

韓国の知識人やジャーナリストは、民衆に対して必要なときには反日思想を基盤にして日本との競争を煽り、国際的な非難をあびそうになると、対面を保つように民衆を説得にまわる。

こんな両班的なシーソーゲームで民衆をあやつる反日思想の悪循環がつづいている。政治家は反日的なことを言わないと選挙に勝てない状態である。

私も1993~1998年に間に5回ほど韓国を訪問し、国内でも学会交流の先鞭をつけたが、個人的には多くの親日の学者たちと交流することができた。当時は現在のように、日韓関係が悪化するとは予想もしなかった。

今後は日韓の精神文化の差が根深いことを、真剣に考えながら折衝・交渉をしていく必要がある。