2022年2月27日日曜日

自己回顧の効果

 老人の認知症防止に、自己回顧が有効というニュースがあった。

丁度退職後20年をすぎて、この期間の記憶があいまいになってきたので、自己年表を作ってみた。
2000年は年長の孫がラサール高校に入学した年だったが、いまは医者になって、ひ孫が二人の親になっている。
次の孫娘も母親となり、ひ孫二人をそだてている。あと二人の孫も社会人となり、1人は最近結婚した。)
ファミリーヒストリーに出るよう有名人との姻戚はおそらく皆無であろう。
(義弟の後輩の息子と、私の後輩の娘が結婚したという程度の以外な絆はあったが。)
年々記録記事の数がへり、特に旅行の数が減少している。
増えるのは病院通いの数だけだが、ここ5年は入院無しで過ごしている。(家内はペースメーカーつきとなったが。)
この年表作りも、ボケ防止の効果がありそうだ。

大田南畝の狂歌

NHKの知恵の泉で、大田南畝の狂歌人生が紹介された。

そのなかのいくつかを紹介する。


           質蔵に かけし地赤の 虫干しは
           流もあへぬ 紅葉なりけり


           世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし
           ぶんぶといふて 夜もねられず

            この句は、彼の作と疑われたという。


           生きすぎて 七十五年 喰いつぶす 

           かぎり知られぬ 天地の恩

     私がもっとも共感した句で、九十五年喰い潰している。天地の恩に感謝!!。

『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社

 『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社    浦辺登氏の書評

「郷土史学」確立の礎になる一書  『京築の文学群像』という表題だが、京築とは、福岡県東部、瀬戸内に面した地域。現在の、福岡県京都郡、築上郡、行橋市、豊前市一帯になる。
福岡県といっても、明治の廃藩置県により、旧小倉県などが統合されて福岡県が誕生した。現代においても、旧藩が異なれば、気質も異なるといわれる。
京築は、旧小倉藩(豊津藩)の文化を受け継いだ地域と考えた方が分かりやすい。幕末、旧小倉藩は関門海峡を挟んだ長州藩(山口県)との戦いで小倉城を自焼し、この京築に旧小倉藩士たちが移り住み、新たに豊津藩を設けた。ゆえに、文化としては旧小倉藩の藩校「思永館」の系譜に連なる。
 この京築は、あの『源氏物語』を英訳した末松謙澄(1858~1920、安政2~大正9)を輩出した。その末松は「水哉園」という学塾で学んだが、塾を主宰する村上仏仙は厳しく漢詩を指導したという。その甲斐あってか、漢詩を好む伊藤博文(1841~1909、天保12~明治42)の知遇を得ることができた。
 また、この京築においては、あの堺利彦(1871~1933、明治3~昭和8)は外せない。社稷を忘れ、権門に驕る旧長州藩出身の桂太郎(1848~1913、弘化4~大正2)は、この旧小倉藩の系譜に連なる社会主義者・堺利彦を恐れたことだろう。
続々と京築の文学話が紹介されるが、『ホトトギス』を主宰する高浜虚子(1874~1933、明治3~昭和8)によって汚名を被った杉田久女(1890~1946、明治23~昭和21)について言及するのは必須。権力者・桂太郎によって堺利彦は封印されたが、文壇の権力者・高浜虚子の巧妙な政治手腕で杉田久女は貶められた。これは、文の世界において、許されることではない。まさに、名前の通り、高浜虚子は「虚の子」であった。その虚子の偽りを暴いたのが、増田連(ますだ・むらじ)の著作だが、はたして、広く世間に伝わっているのだろうかと懸念する。
 本書を読み進む中で、筆者にとって興味深かったのは、「幕末―明治の郷土を知る」の章だった。会津藩から豊津藩(旧小倉藩)の藩校育徳館に留学した郡長正の自刃の話である。自決に至る様々な説があることに驚くが、是非、会津に残る誤解が解消されることを願うばかりだ。
 本書は、1.京築を彩る文化と歴史、2.郷土、美夜古の文献と歴史の二部構成だが、300ページ余に及ぶエピソードには飽きることが無い。膨大な文献を収集し、読破した者でなければ書けない内容である。インターネット情報では知りえない新しい発見がいくつもあった。山内公二氏の「序」ではないが、本書は「郷土史学」という新しい学問体系を確立する礎になりうる一書といえる。

2022年2月25日金曜日

長寿のDNA

 両親は明治生まれにしては、長寿であった。父は94歳6ケ月、母は93歳10ケ月。

その血を受けたせいか、私も現在95歳10月となり、父を少しこえた。医学の進歩で、あとしばらくは、もちそうだ。
戦乱期、公害期、コロナ期を何とか切りぬけて、100歳を目指したい。

2022年2月24日木曜日

鎌倉の永福寺跡

 史跡永福寺(ようふくじ)跡は、JR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在し、源頼朝が建立した寺院の跡で、鶴岡八幡宮や御所の北東(鬼門)の方向に建立されました。





源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して計画され、建久5年(1194)に、
二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂三堂が完成しています。それでも頼朝の落馬による死亡の原因は、亡霊の怨霊による落雷説などがあげられています。


鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。

史跡永福寺跡の写真

山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。

昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。

伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。

こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。

東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。


頼朝が幻の大寺院永福寺を建立した思いには、亡くなった武将等の鎮魂のためでけではなく、平泉や京都に負けない偉大な安楽浄土の世界を鎌倉に創建したい思いがあったようです。

30年ぶりの坂本先生

 九州工業大学名誉教授の坂本先生が、今日わたしの老人ホームを訪ねてきてくれた。

先日オンラインで会話をしたが、直接顔をあわせるのは、30年ぶりであった。

ホームの前で


青天だったので、近くの店で昼食をとったあと、古賀市の船原古墳に案内した。あと歴史資料館で、詳細な展示品をみてもらおうと思ったが、コロナのため休館であったのは残念であった。

船原古墳にて



ブラタモリで、釜石の鉄鉱石

 先日のブラタモリで、釜石の鉄鉱石の生成過程を説明していた。三陸海岸の北上山地の沿岸部に釜石鉱山があり、海底から隆起した石灰岩の層にマグマが上昇してきて、化学反応をおこし、鉄鉱石に変化したという説明だった。

補足説明すると、残ったマグマのガスや熱水溶液が、とくに石灰岩の中に浸透するとその岩石と化学反応を起こして、スカルンとよばれる岩石ができて、その中に、鉄・銅・鉛・亜鉛などをふくんだ鉱物が結晶としてできる。これを接触交代鉱床という。科学変化は複雑で、主要の鉄以外に金・銀・銅・鉛・亜鉛なども産出した。ただしこの釜石の接触交代鉱床は稀なものだ。
鉄鉱石は日本には少なく世界中から産出する。最近の埋蔵量1,800億トンのうち、ロシア、オーストラリア、ウクライナ、中国、ブラジルの上位5カ国だけで約73%を占める。みな安定した大陸型の地形で、代表的な鉄鉱石には赤鉄鉱・磁鉄鉱・かっ鉄鉱・炭酸鉄鉱(りょう鉄鉱)黄鉄鉱などがある。鉱床の形成も多様である。
釜石の鉄鉱石はもう掘りつくされて、後の地下水だけが産物となっているのは驚きだった。


2022年2月21日月曜日

福岡の那珂川紀行:三大遺跡

NHKで福岡の那珂川紀行が放送され、三大遺跡が紹介された。
板付遺跡と奴国の丘は有名だが裂田溝(さくたのうたで)はあまり知られていないと思う。


 板付遺跡






奴国の丘遺跡












裂田溝(さくたのうたで)

裂田溝公園付近は平地の水路であるが、上流では、頑丈な岩山を削って水路を作った場所がある。

日本書紀では落雷により岩が破壊されたと記載されている。

江戸時代の筑前名所絵図にも描かれている。





日本書紀原文

岩石を鉄器で素掘りした跡



筑前名所絵図の裂田溝

オンライン会合

 

昨日は、JITSIのソフトを使って、「よかくさ古賀」のメンバーの、オンライン会合にはじめて参加した。

約1時間の間で、最大6人の参加だった。最初は音声の不調なかたの調整などにてまどったが、次第に参加者の近況報告などで、もりあがった。

3月も同じ時期にまた会合をもつことで、解散した。

2022年2月18日金曜日

孀婦(そうふ)岩(伊豆諸島)

 

孀婦(そうふ)岩


孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)は、伊豆諸島の最南端に位置する岩である。

2016年時点で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており本籍を置くことはできず、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。

日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。





孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス帝国ジョン・ミアーズであった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。

ミアーズは、この岩をその不思議な形から、『旧約聖書創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった人物に見立てて「Lot's wife(ロトの妻英語版)」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっており、実際より17度も東にずれているが、その他の部分では正確に記録されているため、測量ミスではなく元テキストの誤記、誤植が原因であると考えられる。

日本語文献では、1885年の『寰瀛水路誌』(海軍省水路局刊)に初めて「孀婦岩」の名が現れる。「孀婦」とはやもめの意味であるが、これは「Lot's wife」を意訳したもので、やがて音読して「そうふ」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。


日本放送協会(NHK)や産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している。

頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。

これらの調査で、過去に海底火山が出来たあとに、中央部にマグマの急上昇があり、その部分が、孀婦岩として残っていると思われる。






2003年活火山の基準が見直された際に、新たに活火山に選定された。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6 km、水深240 mには火口がある。海底から海上に及ぶ形状は、ケーキに立てられた1本のろうそくにも例えられる。

その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に日本山岳会東海支部の池沼慧らが登頂を目指して上陸。しかしメンバーの転落事故により半分ほど登ったところで断念した。

その後、1975年7月21日早稲田大学岳友会の水野生雄と田村俊輔が初登頂に成功した。

2017年5月には増本亮らクライマー2人、NHKカメラマン2人の計4人が上陸に成功している。


しかし安山岩はもろく風化しやすいので、やがて「孀婦岩」は崩壊して消滅する運命にある。



「山海経」

 世界最古の地理書といわれる「山海経」(海内北経)に「漢初期」には朝鮮半島南部が「倭」と掲載されている。

「北倭記」(倭人興亡史)に掲載されている年表。
この中には扶余王「仇台」(仇首)が西暦234年に死す、(神武)と書かれている。


又、西暦247年には卑弥呼の死、壱与の即位と書かれている。

神武天皇と卑弥呼の崩御の年時差が13年だが、真実は?




2022年2月17日木曜日

日本書紀

 2020年は日本書紀が出来て1300年。つまり歴史時代1300年である。

先史時代:石器・弥生・弥生時代まで(3世紀まで)
 文献記録という意味での歴史が出現する前の時代。
原史時代:古墳時代(4~7世紀まで)
 文献記録の不十分な時代を原史時代。
歴史時代:古事記・日本書紀以後(8世紀以降)
 文献記録が豊富な時代を歴史時代。
(しかし《魏志倭人伝》の存在を重視して,弥生時代を原史
 時代に含める人もある。)
7世紀は法隆寺も出来ているので、日本書紀にこだわらずに、歴史時代に入れて良いと私は思う。17条の憲法も出来ていた時代だから。
写真の説明はありません。

2022年2月16日水曜日

海苔の生産

 有明海苔の生産最盛期で、テレビでもよく紹介される。

昔はすべて手作業で、一枚ごとに手漉きで作られ、乾燥されていた板海苔も、今は殆ど機械化されているようだ。

ただ手作業時代のまま機械化されているので、機械の故障も多いようで、メーカーの人が常駐して故障修理をしているという。

紙製造のように、連続作業にすれば、機械化も楽であろうが、マーケットが反対するのであろうか?
辻本 和子、毛利 理事長、他6人

ペースメーカー

 友人はペースメーカーを入れたらすぐ元気になったが、家内の場合はそうでもない。

調べてみると心臓ペースメーカーの設定には主に4種類あるようだ。
記号の意味
 A(心房)、V(心室)、D(両方)
…T(Trigger 同期):その時点で刺激を与える
  I(Inhibition 抑制):次の刺激を取り消す
  D(両方)
①VVI
・設定した回数より心室の自己心拍が少ないときのみペーシング、そうでなければペーシングしない
・右心室に1本のリードのみ
②DDI
・VVI + AAI
⇒心房か心室のどちらか収縮すれば、刺激はお休み
・右心房、右心室に1本ずつのリード
③VDD
・センシングはAとVだが、刺激はVのみ
⇒これでも右心室に1本のリードで済む
・心房の自己脈がある前提のtracking機能
 =洞結節が正常の場合、DDDと同じ
⇒2本のリードも入れたくない高齢者に適応。
④DDD
・完全なtracking機能
…心房収縮あり、その後心室収縮無ければ、心室収縮をトリガー
 心房収縮無ければ、それもトリガー
・右心房と右心室に1本ずつのリード
※最近は基本的にDDD。
友人の場合は①だが、家内の場合は④だ。3月の再調整に期待している。
宿理 英彦、辻本 和子、他3人