西方浄土筑紫嶋
古代で西方の嶋を筑紫(竹斯)嶋となずけた。
2025年8月4日月曜日
100歳の回想
7月26日の
玄界義塾での講演を無事終えてほっとしています。猛暑の中予想以上に参加者が多く、有難く思っています。準備した資料が多すぎて、説明したのは5,60%で時間切れでしたが、要点はほぼ話せたと思います。後半の資料を、もう一回話したらという意見も出ましたが、やがて老人ホームに引っ越すので、その後の体調次第になりそうです。無事に満100歳を迎えたら、話すことを考えましょう。
86歳がの時の玄界義塾講話
と今回の講話で、安川電機と古賀の関係にふれた。古賀に安川従業員のために作られて小さな住宅団地がある。戦時中に安川電機は、工場の疎開地として6万坪の土地を購入していたが、敗戦になり返還した。その後住宅公団などに転売されたが、その売れ残りが住宅団地になったらしい。疎開地があった証拠として、市の図書館横の駐車場の道路の側に、安川所有地の杭が残っている。
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