2012年1月2日月曜日

対馬の人物(2) 永留久恵

去年の10月に、対馬の郷土史家「永留久恵」氏の安曇族に関する講演を聴いた。90歳の高齢ながら、海神の祭祀と海民の文化について、整然とした講演をされた。
経歴は対馬で小中学校の教員を退職されたあと、対馬の郷土史研究の中心人物となったかたと紹介されていた。

昨日図書館でみつけた本によると、司馬遼太郎が、「街道をゆく。壱岐・対馬の道」の取材で訪れたとき、まっさきに教えを請いにきたのは永留さんの所だったという。

永留さんは戦前の学生時代だから、長崎の師範学校にいくのに、船で福岡経由では2日半かかったが、プサン・下関経由なら船中1泊で2日でいけたという。(パスポート不要の時代)

海軍に徴兵されて、ミッドウエイ海戦では航空母艦にのっていたが、沈没したので、駆逐艦に救助されて帰国した。
呉の軍港に帰ったが、救助兵は倉庫に押し込められていたそうで、大本営発表の勝利宣伝をきかせるわけにいかなかったためと後でわかったそうだ。

対馬と済州島は、大正時代には5万人と10万人くらいの人口だったのに、現在は対馬が4万人、済州島は60万人。あちらはリゾート開発政策の成功による繁栄に対して、こちらは全島要塞時代のままが続いているという。

対馬の歴史を身をもって体験している人と、認識し直した。

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