2012年10月1日月曜日

毛利の厳島の決戦と浦宗勝の活躍

今日10月1日は安芸厳島にて毛利元就が奇襲で陶晴賢を破り、晴賢が島内大江浦で自害した日。

当時、元就は兵力面で晴賢に大きく劣っており、単独で戦うには無謀の状態。そこで元就は晴賢を何とか厳島におびきだして戦おうと考え偽の情報をながし、さらに厳島で決戦するにしても水軍力が不十分だった。
元就は毛利水軍を率いる三男・小早川隆景に属す浦(乃美)宗勝を使者とし、村上水軍の将・村上(能島)武吉のもとに派遣して加担を要請、武吉を味方に付けることに成功した。
宗勝寺
この浦宗勝は小早川隆景が立花城から名島城に移ったあとの立花城城代となり、今その山麓(原上)の宗勝寺に眠っている。

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