2021年8月11日水曜日

千早米軍基地と米兵士

 戦後すぐ、今のJR千早駅の東側一帯は米軍の基地となり、日米講和条約が締結されるまで返還されなかった。その後JRの操車場として長い間使われ、いまはビルや住宅地となっている。



西鉄名島駅から基地まで歩いて通勤

昭和20年の10月から12月位の間は、基地の片付け作業などのため、隣組経由で作業員募集があり、私も一度でかけた。私としては人生で、はじめてのアメリカ人との出会いであった。
はじめ木材などの運搬作業にあたったが、少し英語がわかるということで、売店の作業にまわされた。大学1年だったが、休講状態が続いていたので、年末まで2ケ月くらい出掛けて、担当米兵との交流を続けた。
正月に米兵二人を自宅に招待し、母がつくった寿司と、日本酒をだしたが、彼らもまだ用心深い時代で、あまり口にしなかった。
その一人は、かなりインテリ風で、ウエブスターという名前であった。その部下風の一人が、辞書を作った家柄だというようなことを説明していた。当時は詳しいことを知らないままだったが、その後調べると、米国でも最古の権威ある辞書のようである。



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