2023年12月29日金曜日

衛生陶器と電信碍子

 東洋陶器(現在のTOTO)の衛生陶器は、いまや世界的に有名なっている。

戦時中に私が工場見学した頃は、家庭用の食器や、遺骨壺も多く生産されていた。

家内の弟がTOTOを就職希望先候補にあげたとき、家内は「便器の会社など辞めときなさい」ととめたという。古い人間の印象だった。

 北九州に本社を構えたのは陶磁器の原材料とエネルギー、技術の関係からだった。この原料となる粘土に適した土は熊本県の本渡のもの。焼き上げるときの火力として、筑豊炭田の石炭を利用していた。さらに、八幡製鉄所から排出される鉄の屑が耐火材として利用できた。加えて、輸出の際に便利な港に恵まれていた。
 
技術的には、有田焼の焼成技術が生かされていた。この有田焼の技術は、明治時代、電信の碍子(がいし)にも生かされた。
絶縁効果のある碍子だが、この技術があったことで優良品を国産で賄うことができた。

電信が日本に導入されたとき、輸入品だったが、不良品も多く、なんといっても高かった。
そこで、国産化を図ったのだった。

当時の日本の電信技術のリーダーは肥前藩出身の石丸安世で、当然有田焼の技術に着目し、国産化を成功させた。


深川製磁の碍子



 築地~銀座界隈に電信用碍子の検査をやったという記念碑がある。


その後電力用送電の高電圧碍子の需要もひろがり、多くの碍子企業ができた。

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