2012年6月17日日曜日

黒田25騎の一人「菅六之助正利」と古賀

黒田25騎は播磨あたりの出身者が多く、筑前いりしても、糟屋や古賀との縁者は少ない。


一人だけ糟屋との関係記録のある人物をみつけた。
「菅(カン)六之助正利」である。
筑前いりして3000石となり、伊都郡や糟屋郡の郡奉行となる。
糟屋郡では、古賀の「新原村」の新田開発をしたという記録がある。
播磨国揖保郡のうまれで、如水のもとで若い頃から働き、初陣は17歳の時の賎ヶ岳の戦で、二人を倒して如水からほめられた。
岸和田の陣で根来雑賀衆と戦い戦功を上げた。
九州役でも築井城攻めで敗退のとき、長政を守って活躍した。
中津入りしたときは200石であった。
朝鮮の役では虎退治の武勇伝が有名である。
関ヶ原の役では小早川秀秋との連絡役をつとめ、本戦では鉄砲隊を率いて、石田側の重臣島左近を打ち負傷させた。
晩年は和泉守を名乗り、茶の湯を楽しみ、黒田長政の没後は出家したという。
古賀の新原には何も古文書や遺跡らしいものが残っていないのは残念である。
もと民主党の菅首相はこの一族の別れの末裔ということらしい。
http://harima-kurodabushi.com/?page_id=68

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