2012年6月19日火曜日

小野村と小野和泉守

古賀市にはかって小野村が存在した。
明治22年に席内村・青柳村・小野村の3村時代になり、昭和14年に席内村が古賀町となり、昭和30年に3者が合併して大型の古賀町となり、平成9年に古賀市となった。
筵内や青柳の地名は残っているが、小野の地名は消えて小野公園や小野小学校の名前しか残っていない。
明治22年以前には小野という地名はなかった。小野村という名前はどこからつけられたか謎だ。 
小山田の小と、薦野の野をとったという説があるが、小野村の村誌には何も記載されていない。
立花道雪の家臣の小野和泉守(鎮幸)がこのあたりに居住していたから小野村といわれていたという説を私はとりたい。

小野和泉守は大友家の家臣で、立花道雪と共に立花城に赴任して、宗像軍との小金原の戦で活躍したり、島津軍側の星野吉実、吉兼兄弟の追撃戦で活躍した武将であった。
立花家が柳川に移封になったとき、和泉守は加藤清正に抱えられ、彼の子供が柳川藩の家臣として移動した。
立花宗茂が失脚して放浪中は、小野和泉守が資金援助をつづけたという。
小野和泉守の子孫で有名なのがオノヨウコである。

彼女はジョンレノンをつれて柳川にきたという。お花亭の付近に小野邸跡がある。
古賀の小野公園や小野小学校も、オノヨウコがきてくれれば、話題になるのだが。

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