2012年7月17日火曜日

緒方一族

大分県緒方町は宇佐神宮の荘園であった。その荘官であった緒方一族は、平家と主従関係を結んでいた。
しかし源頼朝の挙兵のあと、宗家の佐伯、臼杵、長野氏らと共に平家に反旗を翻し、菊池、阿蘇、松浦らと組んで平家の目代を追討した。
平家が筑前の原田、山鹿の軍事力によて勢力を回復すると、清原、日田氏などの力をかりて平家を大宰府から追い落とし、平家側の宇佐宮司を攻めて神宮を焼き払い、源範頼に平家追討の船を提供する。
周防から豊後にわたり、さらに芦屋浦の海戦で勝利した源範頼の働きがあったから、その後の義経の屋島攻撃や壇ノ浦の勝利があり得たのだ。
 戸次家は源平時代の豊国の緒方家の末裔といわれる。
当時義経をかくまうために緒方氏が岡城を造ったともいう。

筑前で活躍した立花道雪の旧姓は戸次であり、豊後国鎧岳城主であった。この城山は大野市と緒方町の近くにあり、一度城山の麓を訪ねたことがある。
戸次氏の祖は大神惟栄(緒方三郎惟栄)とする系図が数種類あるようだが、豊後国大神系図、筑後本大神系図、大田本大神系図、大神姓佐伯氏系図、大神姓賀来氏系図、緒方氏系図など、すべての系図が共通して、戸次氏の祖を緒方氏としているから、緒方氏の子孫であることはたしかな史実だ。
立花道雪が源義経に味方して滅んだ緒方一族の血を受け継いでいたことは感慨深い。

1 件のコメント:

  1. 追記
    立花道雪などはこの血をうけているかもしれない。

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