2012年7月22日日曜日

古子山と三柱神社


わが家の北側に見える里山は尾東山122mで、その西に続く少し低い山100mを古子山という。地図には名前が無いことが多い。


歴史書ではその古子山のほうに山城があったことになっている。
防御性よりも唐津街道を展望するのに良い場所だからであろう。
1568年立花城主立花鑑載は大友宗麟の乱行に立腹して本家に反旗をかかげ、毛利側についてその援軍を待った。
大友軍2万3千、守る毛利、原田らの援軍は1万余の対決となった。
しかし部下の野田右衛門らの裏切りにより立花山城を追われた立花鑑載がこの古子山まで逃れてきてこの城に入り兵を集めようとした。
だが兵は十数名しか集まらず、新宮湊に逃れるところを野田右衛門太夫らに発見された。鑑載はこれまでと決断し青柳の松原の中で自刃して果てた。
首なし塚
彼の首なし塚はかっては町川原の狐ヶ崎にあったが、今は青柳の三柱神社に合祀されている。

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