2014年3月12日水曜日

秀吉と義昭の会見〔3月12日)

 豊臣秀吉は命令に従わない島津氏征伐を決意、天正14年に先発隊を九州方面に送りました。
しかし指揮官の立場にあった仙石秀久の拙い指揮で、豊後戸次川で島津軍に大敗。
秀吉は天正15年の元旦に諸将に出陣命令を発し、弟秀長が二月十日に大和郡山から出陣したのに続き、三月一日に自ら大坂を出陣しました。 
九州征伐へ向かう秀吉が備後赤坂(福山)で前将軍義昭を謁見した日が3月12日でした。  
秀吉は六日に岡山に到着、この日備後赤坂(広島県福山市)に至り、鞆から出向いた前将軍・足利義昭を謁見しました。以前と立場が逆転した両者、特に義昭の胸の内は複雑だったことでしょう。形骸化した鞆幕府の姿でした。 
 この時秀吉の勢力圏は1332万石、動員可能兵数約33万。 
 対する島津氏は計296万石、動員可能兵数約7万4千。これではどう見ても勝てる見込みはありません。  
秀吉は三月十六日に安芸海田、二十三日に周防防府、二十六日に下関に至り、二十八日に関門海峡を越えて九州に入りました。
島津勢は局地戦は行ったものの大きな戦いには至らず、結局島津義久の降伏剃髪という形で収束しています。

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