2014年3月27日木曜日

肥後と豊前の城後

熊本の孫の新築祝いにでかけ山鹿温泉にとまった。
山鹿周辺の歴史めぐりで、城村城後・山鹿城跡などをみた。 
秀吉の九州平定時代に、肥後では入国した佐々成政に反抗した肥後国衆一揆がおきた。
リーダ格の隈部親永・親安父子と分家の山鹿彦次郎のもとに15000人が集まり、佐々は加藤や黒田の支援により、ようやく鎮圧され、佐々と一揆のリーダは自刃させられた。
 この一揆に誘発されて豊前の宇都宮鎮房も反旗を上げたが、やがて黒田官兵衛に謀殺された。のちに隈部親永の銅像や山鹿彦次郎の慰霊碑が建てられたが、宇都宮鎮房の方は今も何もない。






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