2015年8月17日月曜日

関門海峡潮流信号所の歴史

 関門海峡は、日本で、最も潮流が速い海域の一つで、S時型に曲がって行会い船も見えにくく、航海者には、大変な難所であるため、明治5年5月から、部埼と台場鼻に潮流信号所が設置されました。

早鞆瀬戸の潮流観測灯浮標を見て、昼間は長方形と円形の形象により、夜間は、光色を変えて表示していました。


 現在の電光板方式は、昭和54年(1979年)から採用されました。


火ノ山下を追加し、かつ、電光板の見えない所にいる航海者のために、無線放送が追加されました。

私が関係したのは、昭和25年頃のことで、長方形と円形の形象表示装置の駆動装置の改善設計を、当時第7管区海上保安庁にいた友人の野田君に依頼されました。
初期のものはアームの停止位置の制度があらく、誤った判断をされることがあったので、アームを正確な位置に止めたいということ
でした。
当時はまだ半導体の制御装置など皆無で、誘導電動機をリミットスイッチでON-OFFする制御装置でした。回転アームの慣性モーメントが大きく、風の影響などをうけて、停止位置が20度以上ばらつきました。
現在のようなサーボモータがなく、リミットスイッチのついたドラムの駆動モータに、強いブレーキをつけて、短時間に停止させる方法が必要でした。
最初はコーン型モータをつくり、OFFのときはバネでロータがブレーキに押してけられ、ONになるとロータが軸方向に移動して回転するようにしました。
その後はアキシャルエアギャップモータが登場したので、これを使用しました。当時はよろこばれましたが、いずれも今は昔の話になってしまいました。
その後の電光化やコンピューター化などを、よかくさ古賀で顔なじみの谷口さんがかかわれたとのは、不思議なご縁でした。

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