2017年7月17日月曜日

「三国志の聖地、武候祠」

古賀市の論語研究会で、蜀の都の現在地が話題になったとき、
重慶ではないか?という意見が多かった。
しかしFB友の丸山宏さんによると、下記のように成都ということだ。私も重慶に1月滞在したことがあるが、重慶にはあまり古い歴史の跡はないようだった。

「三国志の聖地、武候祠」
成都にある武候祠博物館は三国志の聖地と言われています。
三国志は中国の後漢末期から三国時代まで、西暦で言えば180年から280年ごろまでの中国の戦乱の時代における魏、呉、蜀の三国の争いを描いたものです。その三国時代に蜀を建国したのは劉備で、その劉備を武の面から支えたのが関羽と張飛、智の面から補佐したのが諸葛亮です。
武候祠は、そんな諸葛亮の功績を称え神として祀っている場所です。諸葛孔明は死後、武候と諡(おくりな)されているので、この諡をつけて武候祠と呼んでいるものです。
では蜀を建国した劉備をしのぶ場所は蜀の都だった成都に無いのかというと、それは武候祠の中にあるのです。
その入口には漢昭烈廟という看板が大きく掲げられています。漢昭烈廟というのは劉備の廟のことを言います。劉備には昭烈帝という諡(おくりな)がありますので、漢の昭烈帝の墓所という看板になるわけです。
つまり「武候祠」には劉備と諸葛孔明の二人が祀られているのです。
しかしながら「武侯祠」がこの地の名称であり、通りまで同名で呼ばれていることから分かるように、主君の劉備玄徳より諸葛亮孔明の祠として認識されているのです。
それだけ諸葛孔明の方が人気が高いということなのでしょうかね。

0 件のコメント:

コメントを投稿