2019年6月26日水曜日

装飾古墳の全貌

久しぶりにチブサン古墳をみたので、今まで集めていた装飾古墳の本や資料を読み直してみた。
チブサン古墳の壁画

平成25年の記事によると、日本列島にある古墳の総数は約20万基だが、装飾古墳は約660基で、0.03%にすぎない。

そのうち九州には326基あり、熊本に195基が集中している。九州以外では東北、関東に多く、関西にはまれである。

時代は5世紀から7世紀末までにまたがり、画かれた図形は、原始的な三角文、円文、直弧文などからはじまり、太刀や楯などの器具や動物や波紋などにひろがり、後期には人物や天体図や四神図など大陸文化に洗練された図に変化していった。

従来は、直線と曲線が複雑に入り組む原始図形の福岡県広川の石人古墳が最古のもので、ここから熊本のほうに南下したと考えられていた。
最近の発見などで、熊本県八代の小鼠蔵1号墳などが、5世紀初頭の築造とわかり、ここから筑後、筑前、さらに全国にひろがったという説がおきている。

原始図形は死者の霊を守る魔よけと考えられ、船、馬、鳥などの図は死者をあの世に旅立たせる情景と解釈する説が多い。
あの世は、海の向こう、空のかなた、地下の世界など地域によって違っているようだ。

生物のなかで、墓をつくるのは人類だけで、あの世を想像し、再生、復活を願ったことから、さらに各種の宗教世界がひろがった

0 件のコメント:

コメントを投稿