2019年11月6日水曜日

沖縄の城と首里城

今回の首里城の炎上は大きなニュースとなった。この機会にその歴史と思い出をまとめてみた。

沖縄県立埋蔵文化センター 所長 安里嗣淳氏の講和(2002年)のレジメや、手持ちの資料より その歴史をみる。

1)琉球王国の成立以前の琉球
10~12世紀に農業と鉄器が普及し、12世紀末には各地にグスクを拠点にする地方首長層が登場し、勢力争いを展開。
2)14世紀には、抗争をへて琉球が三つの勢力にまで統合が進む。「三山時代」
  北山:今帰仁城を拠点  中山:浦添城を拠点  南山:島尻大里城(大里城)を拠点
今帰仁城

浦添城

大里城


3)15世紀初期、中山尚巴志が首里城を居城にし、1429年に琉球を統一
  第一尚氏は以後7代63年間つづく。
  1454年 布里の乱で首里城炎上  1458年 護佐丸の乱   1469年 重臣金丸の乱
4)尚王円統
   金丸が尚円王となり、2代国王尚真が中央集権制度を確立。
   各地のグスクの「按司」を首里に集めすまわせる。
5)独立琉球王国の滅亡
   1609年 7代国王尚寧のとき 薩摩の侵攻
   王国の体裁は薩摩の支配下でも維持 首里城の機能継続
6)明治以降の首里城
   琉球処分 1879年3月29日 首里城明け渡し
   19代 409年の第2尚氏王朝の滅亡
   以後 熊本鎮台の駐屯地 工芸学校の設置 沖縄神社 をへて
   正殿の老朽化で廃棄し風呂屋に売り渡し決定
7)再建 1925年 文部省により国宝指定

8)沖縄戦で地下に軍司令部地下壕設置、南山地区にも陸海軍地下基地設置
  米軍の攻撃による首里城の木造部分と城壁の破壊
9)戦後 琉球大学の建設による破壊
10)1972年5月 沖縄の日本への返還が成立
   その直後首里城は 国指定史跡となり、琉球大学の各学部が順次移転することになる。
   一部で発掘調査  完全移転後に本格的発掘と整備
  (私は順次移転当時の琉球大学を訪問したが、当然首里城はなく、1958年に再建された守礼門だけが存在していた。大学の先生により北山地区や中山地区の城跡も案内さてもらった。)

11)1992年に首里城の再建が行われた。1997年に沖縄出身の学生城間君が琉球大学での学会発表を行うときに再度訪れたが、立派な首里城が再建されていた。その後退職後にも家族と観光旅行で再度訪れた。

今回の消失は残念なことだが、沖縄のシンボルを再建の希望は強く、再度の再建を政府も明言している。

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