2021年3月23日火曜日

筑前の浄土宗と一光寺

 浄土宗の歴史:

法然上人が浄土宗を開宗したのは、1175年(安元 元年)である。

その弟子の鎮西上人が九州筑後に善導寺を開創したのが、1208年である。


                 鎮西上人の像

                 筑後 善導寺

鎮西(聖光)上人は浄土宗第二祖とされる高僧で、1162年、筑前国香月で生まれた。


上人の誕生した産屋跡には、藤で有名な浄土宗の誕生山吉祥寺が1217年に建てられている。






上人は、平安時代から遠賀川中流域で勢力を張った豪族香月氏の出身。



上人は7歳で菩提寺の大日寺で勉学を始め、9歳で剃髪出家し、聖光坊弁阿弁長と名乗り1175年、14歳で筑紫の観音寺で戎を受け、飯塚市の明星寺などで天台の勉強に励む。

1183年、22歳で比叡山に赴き、8年間修行した後に、1191年に油山の学頭となる。


1197年、36歳、明星寺の五重塔再建のため京の四条綾小路の仏師康慶の邸に滞在していた折に浄土宗開祖法然上人と出会い、その門人となる。


1204年、43歳のとき浄土宗の教えを相伝し、九州に戻り浄土宗鎮西派を開く。


筑後の豪族草野氏の帰依を受け、久留米の善導寺を建立し、九州の根本道場とし。48寺を一代にして開く。


1238年、多くの弟子に見守られ、77歳で死亡。。


上人の墓はその筑後善導寺にある。。


1212年には、博多善導寺が建立されており、1217年には、順徳天皇より

勅額が下賜されている。

              博多 善導寺

この鎮西上人の時代が筑紫に浄土宗は根をおろした時期である。

その後の浄土宗のひろがりは、緩やかで、あまり記録がない。

1392年ころの一光寺の名前の石碑があるが、特定できる場所が不明である。

明確に特定できるのは、1444年に博多一行寺が建立され、さびれていた博多善導寺も1477年に中興されたことである。古賀の称善寺が1480年事で、浄土宗が広がり始めた頃の様だ。

1551年に、わが菩提寺一光寺は名島に建立され、大友・毛利の戦乱をさけて、1568年に箱崎に移設された。

一光寺というが、その語源は一光三尊らしい。三体の仏像の背後を、大きな1枚の舟形光背がおおっているのを、一光三尊という。

「いっこうじ」の発音から、一向宗と間違えられやすいが、浄土真宗の源祖の浄土宗である。士族の檀家はほとんどなく、庶民の檀家ばかりである。

                  筥崎 一光寺

黒田が筑前に入国してからは、黒田家祖母の信仰のあつかった浄土宗がひろまり、竜宮寺、少林寺、浄念寺、大長寺など福岡地区に浄土宗の寺が急増した。


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