2021年5月16日日曜日

古賀橋(飯田橋)

 今は「古賀橋」とよぶ。ライフラインと一心同体の後牟田大池線に架かる橋。




以前は木橋構造も多かった時代には、よく決壊し、工事のたびにけが人や死者がでたという。
それで、橋は川に直角ではなく、少し傾斜してかけられえた。
1936(昭和11)年にも架け替えの時に、橋の袂に地蔵さんが祀られた。その後の事故はなくなったという。


1990(平成2)年9月には工事中に川底から「飯田橋」の石碑が発見された。


橋の袂の地蔵さんは、今も昔日の姿をとどめ、地域の皆さんが大切に継承されている。
毎年の千人参りでは、4番 奥の院 飯田地蔵にも大勢の信者が訪れる。


地名から〝ご飯ができる田を支えてくれた橋だったと思われるが、小字図をみると、川沿いに狭い範囲の地名である。近くに屋敷がふえて、飯田が狭まったのだろうか。
対岸の住宅団地は、昔は前田といったそうで、広い農地だった。
下の小字図で、古賀屋敷、縄手の内、深町、東町などの地区で、今は花鶴ケ丘団地になっている。
大正時代に九州で初めて大演習がおこなわれ、最初の飛行機演習のため、ここに臨時の滑走路がつくられて、大濠公園横の広場から、複葉機が飛来したという。

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