2022年5月26日木曜日

和気清麻呂と天平の女帝孝謙称徳

 岡山県和気にある英国庭園の近くに和気神社がある。



和気神社は、和気清麻呂、和気広虫の姉弟を祀っている。







称徳天皇の時代、歴史として語り伝えられる称徳天皇は、悪評紛々である。
女帝は、寵愛する道鏡を次の天皇として即位させようとした。
それを勇敢に阻止しようとしたのが和気広虫と和気清麻呂の姉弟であった。
清麻呂は、道鏡の即位を認めないという宇佐神宮の神託を都に持ち帰り、道鏡の野望を打ち砕こうとした。
ところが、姉弟は、称徳天皇と道鏡の怒りをかい、それぞれ「狭虫」「汚麻呂」と名前をつけられて流罪となった。
しかし、結果的にこの二人が皇統の統一性を守った功績は大きかった。
これが、かつて、藤原氏が作り挙げた、「歴史という物語」であった。

この物語りは、近代日本でも、「万世一系」の皇国史観の根幹を揺るがす一大事件として喧伝され、歴史的な真実として信じられてきた。その影響は、戦後日本にも及んでいる。




これに対して、この作者玉岡かおるは、和気広虫を、藤原氏が捏造した「歴史という物語」から解き放つことにした。そして広虫に、称徳天皇の死の真相や、天皇と道鏡の関係を探らせる役割を与えている。作者の期待に応えた広虫は、称徳天皇を主人公とする、美しい物語の種を見つけだすことに成功したのである。
新たな物語に作者が登場させたのは、歴史の桎梏から開放された広虫だけではない。
女帝の警護にあたっていた、隼人の若者たちの清々しさ。権力欲に取り憑かれた藤原氏とは対照的に、隼人達の心は純白で、美しい。この溌剌とした心を救い上げ、検証しながら、作者は「捏造された歴史」を粉砕する「美しい物語」を紡ぎあげていく。
隼人を新しい歴史の担い手として称徳天皇と作者の澄み切った構想力は、藤原氏の野望と真っ向からぶつかりあう。
さらには、安倍龍太郎先生の日経新聞連載の「ふりさけ見れば」の中の遣唐使で有名な吉備真備の娘である由利、藤原百川の妻の朱華姫、さらには、井上皇后につかえるアトノカタシメ。
和気広虫は、宮中につかえる様々な女官と関わりながら「歴史」の厚い霧に閉ざされた真実の「物語」を見つけだしてた。。
小説の最後では、称徳天皇の死の謎も解かれ、彼女が死の直前に心から願っていた新しい国家創造の祈りが「詔」として輝いているように思える。


玉岡かおるは、三木市立三樹小学校三木市立三木中学校兵庫県立小野高等学校を経て神戸女学院大学文学部卒業。三木市立三木中学校で2年間教職に就いたあと文筆業に転向し、神戸大学の川端柳太郎に師事。

0 件のコメント:

コメントを投稿