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沢山の文学作品を出版し、国際的作家となる。 |
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かずおは1954年長崎生まれ。 父の石黒鎮雄は1920年4月20日に上海で生まれ、北九州の明治専門学校(現在の九州工業大学)電気工学科で学んでいた。 長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた。鎮雄が作曲した『長崎海洋気象台の歌』は『長埼海洋気象台100年のあゆみ』に楽譜が記載されている。 1950年代末以降には,英国に招かれて,電子回路モデルを用いた潮位の解析装置を大規模なアナログコンピュータに発展させ,北海の高潮予測を可能にした。 1958年エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文で東京大学より理学博士号を授与された海洋学者である。 2007年に87歳で亡くなる。 母の静子は長崎原爆投下時10代後半で爆風によって負傷した。 |
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母は長崎原爆当時の記憶を幼いかずおに話していた。 かずおはその記憶をもとに小説を書いたのは、原爆投下から35年のころ。 「A PALE VIEW OF HILLS」 |
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がずおの小説を映画化することが、日英の若い映画監督により、実現された。「遠いやまなみの光」という映画である。
日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。
「悦子は日本人の夫・二郎と別れ、イギリス人の夫と再婚する。悦子は、前夫との娘・景子とともにイギリスに渡り、イギリス人の夫との間にはニキという娘をもうける。 ロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。
ニキが悦子を訪ねて来たところで、悦子は日本にいたころ、すなわち終戦後の長崎で前の夫と暮らしていたころを思い出し、回想が始まる。・・・・」
この物語は戦後直後の長崎を回想の舞台にしている。だから物語には始終原爆が暗い影を落とすが、「訳者あとがき」にもあるように、物語自体は必ずしも原爆がテーマというわけではない。もちろん原爆を軸にするとこの小説は別の読み方もできるだろう。
映画の製作が完成し、いしぐろ かずお が長崎を訪れたとき、この映画の意義を、つぎのように表現している。
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原爆の記憶の伝え方も現在の世代にあわせて考える必要があり、この映画も新しい形態だ。 |
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