蘇我馬子が仏教導入に熱心だったことは良く知られている。
一塔のまわりに三つの金堂をもつ飛鳥寺(法興寺)をつくり、長男の蘇我善徳を寺の管理者とし、さらに善信尼を百済に派遣して正規の資格をとらせた。
これらは、飛鳥寺を仏教の総本山として、組織、人事などの主導権を確立するためだったようだ。
戦後の発掘調査で、本堂の中央から大きな基礎石が発見された。
また同時にたくさんの貴重品も周辺から出土している。
蘇我氏の一族の石川麻呂は、別途に山田寺を建立していた。
その後一族間のあらそいで、蘇我日向に謀反と密告されたとき、この寺で自刃したのは有名だ。
此処も戦後の発掘調査で、回廊の倒壊あとなどが見つかった。
いまその部分が復元されて、資料館で展示されている。
古文書のとおりのものが見つかったので、考古学では大きな話題となった。
仏教導入は天皇家の主導で行われたという戦前の歴史書は、戦後に田村円澄先生(宗像市在住・九大名誉教授)たちの研究により豪族主導と修正された。
いずれにしても奈良盆地主導であったことは変わらない。しかし蘇我日向はその後大宰府に配流されている。
2014年1月31日金曜日
2014年1月30日木曜日
福岡と藤野の地名(備前と筑前;その他)
私は筑前で生まれ育ったので、備前の国には殆ど土地勘がない。 岡山と倉敷を観光旅行したくらいである。
調べてみると、古代の大きな古墳があったり、戦国時代の歴史で有名な備中高松城がある地域である。
調べてみると、古代の大きな古墳があったり、戦国時代の歴史で有名な備中高松城がある地域である。
「福岡」の地名は黒田官兵衛が備前福岡(現在の瀬戸内市長船町福岡)の地名を移動したといわれている。
黒田官兵衛の祖父重隆、父職隆の墓はこの福岡の妙興寺にある。
見分けの会で古賀にこられた岡田真美子先生のお寺である。
鎌倉時代にはにぎわっていた町らしいが、しかし備前福岡の地名は今では小さくなっている。
備前一文字の日本刀が有名だが、国宝の日本刀の半分は、備前の作という話に驚いた。
それにあやかって一文字うどん、どどめせなどの郷土料理があるようだ。
長船町の北東には和気町藤野がある。和気清麻呂の出身地として有名な場所であり、私の姓につながる場所だ。
一度この辺を訪ねてみたい。 藤野小学校もあるという。
藤野小学校はその他に相模原市と札幌市にもある。
また福岡小学校をしらべると、9地区にあるようだ。(高岡市、白石市、つくばみらい市、岡崎市、能美市、仙台市、ふじみ野市、そして福岡市に二つ:福岡教育大と福岡大の付属小学校。
(福岡教育大付属福岡小学校は私の母校だ。)
福岡、藤野の地名は、全国各地にあるということがわかる。
備前福岡の場所 |
黒田如水祖父の墓 |
妙興寺 |
見分けの会で古賀にこられた岡田真美子先生のお寺である。
鎌倉時代にはにぎわっていた町らしいが、しかし備前福岡の地名は今では小さくなっている。
福岡の市の古図 |
それにあやかって一文字うどん、どどめせなどの郷土料理があるようだ。
備前一文字の刀紋
|
一度この辺を訪ねてみたい。 藤野小学校もあるという。
藤野小学校はその他に相模原市と札幌市にもある。
また福岡小学校をしらべると、9地区にあるようだ。(高岡市、白石市、つくばみらい市、岡崎市、能美市、仙台市、ふじみ野市、そして福岡市に二つ:福岡教育大と福岡大の付属小学校。
(福岡教育大付属福岡小学校は私の母校だ。)
福岡、藤野の地名は、全国各地にあるということがわかる。
2014年1月27日月曜日
漱石と寅彦と椿
宇都宮鎮房5
黒田ブームで、宇都宮鎮房をPRする動きが起こっている。
日本郵便九州支社は24日、オリジナル切手「黒田官兵衛VS宇都宮鎮房」の販売を京築地方と田川市、田川郡の65の郵便局で始めたという。
400年にわたり豊前国を治めてきた宇都宮一族と官兵衛の攻防を知ってもらおうと作製。
80円切手の10枚入りシートで、価格は1200円。1500シートを販売。 是非手にいれたい。
昨日の火事
26日午後、古賀市薦野で建設会社の事務所など3棟を焼く火事があった。事務所を一部焼いたほか隣接する住宅と倉庫も全焼し約4時間半後に鎮火したという。
サイレンや消防車の走る音は聞こえたが、わが家からは煙は見えなかった。尾東山の陰にかくれていたようだ。
乾燥期で北風も強かったから、火の元には要注意の日だった。
2014年1月25日土曜日
ラストシーン
映画会で昔の映画をみるとき、全くはじめて見ている映画とおもっていても、ラストシーンで「あ”見たことがある」と思い出すことがある。
テレビなどで、ラストシーンだけをよく放映するからだろうか?
昨日みた「優しのサブリナ」も、ラストの大逆転シーンで思いだした。
2014年1月24日金曜日
原爆被害の調査とラジオゾンデ
今晩のNHK福岡の番組で、若い頃の九工大の藤田博士が長崎原爆の被害調査を、投下直後の8月中に行った資料が紹介された。
私が生前の藤田博士から九工大で直接きいた話では、広島原爆の被害調査も直後に行っておられたよだだから、両方の史料があるはずだ。あわせて紹介してもらいたかった。
その後渡米され、気象学者として大成され、航空機事故原因についてダウンバーストを提唱されたことは有名だ。
九工大の前身の明治専門卒業時の同期生には、同じ気象学の分野にすすんだ石黒さんがいる。彼はイギリスで仕事をしたが、息子さんがノーベル賞作家になって、有名になった。
長崎のラジオゾンデ(落下傘付き爆圧等計測器)
戦後75年。被爆者の高齢化によって語られることが減少しつつある体験談。
ご本人が語る、文字が呼びかける 当時の証言。
原子爆弾搭載機「ボックス・カー Bockscar」が爆弾投下直後から爆発までの間に、後方の科学・気象観測機グレートアーティストによって爆発の威力・爆圧・高度・熱力等を計測する3個のラジオゾンデ(radiosonde)が投下されました。
これらのラジオゾンデは、原爆が地上約500mで炸裂した後、爆心地の上空約4000mの高さから東側に流れ、正午頃に北高来郡戸石村に落下しました(といし 爆心地から11.6km、現在の長崎市川内町、長崎原爆戦誌には午前11時半から正午ごろの間に落下したとされている)。
もう2個は、北高来郡田結村木場名補伽(ほとぎ 爆心地から12.5km、現在の諫早市飯盛町)、北高来郡江ノ浦村嵩(だけ 爆心地から13.3km、現在の諫早市飯盛町)に落下しました。この三地点は爆心地からほぼ一直線に並んでいます。
江ノ浦村嵩で当時6歳だった野田さんは「そりゃあ、怖かったよ。不気味な円筒をぶら下げて上がったり下がったりしながら、こっちに近づいてくるんだから」と。
落下傘は野田さんの自宅の上を通り過ぎ、近くのシイの木に引っかかりました。集落は大騒ぎになり、筒のなかに米兵が隠れていると思った住民たちは、鎌や日本刀を手に取り囲みました。爆発するかもしれないと、野田さんら子どもやお年寄りは、近くの民家に避難したといいます。
※2005年8月9日 朝日新聞 朝刊に掲載された記事の抜粋。
広島・長崎の記憶 被爆者からのメッセージ
【 太陽が爆発したのか 再現、ナガサキ8・9「被爆60年アンケート」からの抜粋 】
【 落下傘に円筒形の物体 きらきらと輝く、それは爆圧計測装置 】
午前11時ごろ、気温29.5度。長崎市大橋町にある三菱兵器大橋工場の動員学徒、笠松久さん(女性)は、サツマイモの昼食の前に工場の外で手を洗っていた。
空襲警報が鳴るなか、上空に飛行機が飛来した。音もなく落とされた白い物が、パッと開いた。「円筒形の物がぶら下がり、太陽の光を受けてきらきら輝いていた」。落下傘だ。「友達にも見せなくちゃ」。笠松さんは工場に駆け出していった。
國民學校教師の平山さん(女性)も海岸で落下傘を見た。海水浴を楽しむ教え子が「飛行機だ」と叫んだ。白い物が落ちてくる。金属製らしき物体が付いているように見えた。
その正体は爆圧計測器「ラジオゾンデ」。計3機あり、原爆の爆圧、熱力などの数値をグアム島の基地に送る。米軍が「投下成功」を確認するための装置だった。
「日本の飛行士さんが落下訓練をしてるよ。頑張ってるね」。平山さんが言い終わらないうち、鋭い光線が走った。
2014年1月22日水曜日
庭園(Garden) の 楽しみ
2014年1月21日火曜日
2014年1月17日金曜日
宇都宮鎮房2
戦国時代に黒田官兵衛と対立し、滅亡した宇都宮氏一族を広く知ってもらい地域活性化につなげようと、14日、かつて一族が勢力を広げていた築上町と豊前市の住民らが豊前国「宇都宮連合」協議会を設立した。
ゆかりの史跡でイベントの共同開催に取り組むことで一致した。 亀岡市には明智光秀の銅像があるように、城井谷に宇都宮鎮房の銅像を作るといいだろう。
ゆかりの史跡でイベントの共同開催に取り組むことで一致した。 亀岡市には明智光秀の銅像があるように、城井谷に宇都宮鎮房の銅像を作るといいだろう。
2014年1月8日水曜日
鞍橋君
古賀市で出土した古代の馬具。午年の今年は大きな話題になるだろう。
古代史に登場する人物は磐井君、その息子の葛子と鞍橋君。
武勇伝としては、乗馬や強弓で有名な鞍橋君で、新羅に出陣して活躍し大成果をあげている。だから韓国製の立派な馬具を手にいれた可能性が一番おおきい。
文献上では鞍手町新北の熱田宮に彼の古文書が残っているらしいが、ここから古賀の天降神社に鐘が寄贈されたということもあり、古賀とも縁の深い人物である。
2014年1月6日月曜日
100周年
古賀作一さんが今年百歳、私は88歳の米寿である。
私が卒業した学校や職場の100周年をしらべてみた。
九州大は3年前、福岡師範付属小学校は昭和51年に百周年がおわっている。
旧制中学が3年あと、旧制高校は4年あと。
職場では九工大が2年まえ、安川が3年あと、九産大ははるかあと。
2014年1月3日金曜日
年賀状
3ケ日で80通の届いている。
その中でもっとも驚いたのは、教え子に初孫ができたという報告だった。
こちらが年をとった証拠である。
単身赴任中が二人もいた。50代近くでの転勤では、子供の学校の関係で、やむおえない。
親類縁者や友人には、とくに話題性のあるものはなかった。
未届のなかに、病気や入院中があるかも?
2014年1月2日木曜日
春日神社
北九州市八幡西区に22年住んでいた。藤田電停近くにある春日神社は知っていたし、子供の7,5,3のお参りをした所だが、黒田官兵衛との関係はしらなかった。
黒田官兵衛が氏神として信仰していた神社で、市の有形文化財に指定されている黒田家ゆかりの掛け軸や古文書の公開が、大河ドラマの放送を前に1日から始まりまったという。
黒崎城が近くに作られていたことで、氏神としての縁ができたのだろう。
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