最近のアンケートで、「行ってほしい美術館」は、大塚国際美術館がトップである。
私は国立西洋美術館や足立美術館には以前に行ったことがあるが、大塚や金沢など新しい美術館は、テレビでみるだけである。
大塚国際美術館設立の概要
大塚製薬グループが創業75周年事業として1998年(平成10年)に開館した美術館で、西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し展示する陶板名画美術館である。
延床面積は29,412m2で、現在は2007年(平成19年)に開館した国立新美術館(47,960m2)に次ぐ日本第2位である
建築費や各絵画の使用料(著作権料)などを含め、総工費400億円。
建設の経緯
1971年、大塚グループ各社の相談役だった大塚正士の下に、末弟の大塚正富(当時大塚化学技術部長、)らが訪れ、鳴門海峡に面した砂浜で採取した砂でタイルを作る事業を提案。
1973年、タイルを製造する大塚オーミ陶業を大阪に設立するが、その年に第一次オイルショックが発生して景気が低迷。受注のなくなった大塚オーミ陶業の技術を生かすべく、陶板に絵を描いて美術品を作ることを思いつき、その技法を確立。後に大型美術陶板化に成功し、その技術の集大成と大塚グループの75周年記念事業として構想から、使用許可・完成まで10年の歳月をかけ、美術館の建設・設置に至った。
鳴門市を建設場所に選んだのは、第1に鳴門が大塚グループ発祥の地であること。第2に大鳴門橋や明石海峡大橋や神戸淡路鳴門自動車道が完成し、阿波踊り以外に特段集客能力のない徳島県に、人の流れをせき止める『ダム』の役目がある施設を、両橋が完成する前に建設したいと考えたからであった。
建設にあたり、所在地が瀬戸内海国立公園内であるため、建設許可だけで5年の歳月をかけた。景観維持と自然公園法により、高さ13m以内とするために、一旦山を削り取り、地下5階分の構造物を含めた巨大な建物を造ったうえで、また埋め戻すという難工事となった。
展示
システィーナ・ホール スクロヴェーニ礼拝堂 |
展示されている作品は、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術によって、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものである。オリジナルの収集に拘るのではなく、自社技術を用いてふんだんに作品を複製・展示するという構想は、企業の文化事業としての私立美術館の中でも非常に特異な試みといえる。美術教育に資するべく、作品は古代から現代に至るまで極めて著名、重要なものばかりを展示しており、これらを原寸で鑑賞することでその良さを理解し、将来実物を現地で鑑賞して欲しい、との願いが込められている。
陶板複製画は原画と違い、風水害や火災などの災害や光による色彩の退行に非常に強く、約2,000年以上にわたってそのままの色と形で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献すると期待されている。 この特徴を生かし、大塚国際美術館では写真撮影が一定条件下で許可されていたり、直接手を触れられたり、一部作品を屋外に展示していたりする。
最上階にある部屋に展示されたモネの五点の『睡蓮』などはその性質を生かした好例である。
モネの希望であった白壁の広い空間に、天窓から太陽光が入り、昼間と夕方では、絵のイメージが大きく変化する。
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昼と夕方の差 |
もう一つの特徴として、今は現存しない作品(修復前の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』・戦火で失われたゴッホの『ひまわり』)や、戦災等で各地に分散されている作品(エル・グレコの大祭壇衝立)を復元するなどの試みも行われている。
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原画が消失したゴッホの「ひまわり」 |
板を組み合わせることで大型化にも対応でき、ミケランジェロの『最後の審判』も、オリジナルの展示環境(システィーナ礼拝堂)全体を再現した「システィーナ・ホール」に展示されている。
5月26日、大塚製薬株式会社が吉野ケ里町の佐賀工場に新たに原薬新工場及び合成技術棟を開設されることが決まり、立地協定を締結しました。
大塚製薬さんは1984年、「佐賀は東アジアの中心」という考えのもと、佐賀県に研究所を設立されました。以来、原薬やポカリスエットなどの生産拠点、また、研究拠点として佐賀での展開を広げていただいています。