アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。
日本語では「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。
日本では外来の影響を受ける以前の神道があり、世界各地で人類が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと同様に、その要素は、自然崇拝・精霊崇拝などのアニミズム、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない、生命の本質としてのマナの概念や、常世(とこよ・神が住む世界)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観があった。
現代人は、日常生活において、物に埋もれた世界にくらしており、精霊信仰やアニミズムを、未開人の宗教と考え、科学的には理解されない未開人の誤解だと、切り捨ててきた。
しかし、冷静にみれば、現代でも人類は天地の神羅万象のなかに存在しており、自然環境の変化に大きく支配されている。
変化していく万象が風雅の種であり、万象の中に見えてきた変化の光を言葉に留めるのが、俳句作りであると芭蕉は言う。
一茶は、森羅万象のなかに神と出会い、神を抽出する修行をするのが、俳句の修行だという。
現代の前衛俳人金子兜太は、万象のなかに、旺盛な生命力とおおらかさと明晰さと美しさに直に 触れることができて、芭蕉、一茶、種田山頭火などの生き方にも感動して、さらには 自身の産土・秩父体験をまじえ、「原郷指向」と表現した俳句の魔性を表現した。
私のような高齢者は、家族や友人との対話の機会もへり、ぼんやり一人で過ごす時間が増えるばかりだが、庭に出て、花や木々に「今日は」と声をかければよい。花や木々からの返事はないけれど、花の香や、幹の触覚をとおして返事がかえってくる。
この往復運動が精霊崇拝やアニミズムであり、さらに自然との会話をして俳句まで作れば、高齢者の認知症予防に役立つであろう。