私の子供のころは、多くの小学校の講堂に、東郷元帥が軍艦三笠の艦上で指揮をしている肖像画が飾られ、この日を記念して海軍記念日が行われ、福岡の箱崎八幡宮の海岸では毎年花火大会が開催された。
軍艦三笠と東郷元帥 |
大峰山東郷神社の地図 |
軍艦三笠の記念塔 |
砲弾 |
筑前名所図絵 楯崎 |
私の父は当時10歳だったが、沖ノ島の方向からの砲声を聴いた記憶があるといっていた。
しかしこの大勝利は奇跡的なことだったのだが、日本海軍はその勝利の夢に酔いすぎて、日米戦争に突入してしまった。
この勝利でやっとロシアとの講和交渉に持ち込めた日本のは、最早戦争継続の余力はなかった。
この戦争では戦勝国も敗戦国もないというロシア側代表の言い分にたいして、日本は小村寿太郎の努力によってなんとか樺太南半分の領土と、捕虜7万人の返還経費5千万円を獲得できただけだった。
ただ日本の世論は、大勝利と思い込み、小村を国賊あつかいに評価したのが、その後の日本の進路を誤らせた。