老人の認知症防止に、自己回顧が有効というニュースがあった。
2022年2月27日日曜日
自己回顧の効果
大田南畝の狂歌
NHKの知恵の泉で、大田南畝の狂歌人生が紹介された。
そのなかのいくつかを紹介する。
生きすぎて 七十五年 喰いつぶす
かぎり知られぬ 天地の恩
私がもっとも共感した句で、九十五年喰い潰している。天地の恩に感謝!!。
『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社
『京築の文学群像』城戸淳一著、花乱社 浦辺登氏の書評
2022年2月25日金曜日
長寿のDNA
両親は明治生まれにしては、長寿であった。父は94歳6ケ月、母は93歳10ケ月。
2022年2月24日木曜日
鎌倉の永福寺跡
史跡永福寺(ようふくじ)跡は、JR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在し、源頼朝が建立した寺院の跡で、鶴岡八幡宮や御所の北東(鬼門)の方向に建立されました。
鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートル
昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。
こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。
東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。
頼朝が幻の大寺院永福寺を建立した思いには、亡くなった武将等の鎮魂のためでけではなく、平泉や京都に負けない偉大な安楽浄土の世界を鎌倉に創建したい思いがあったようです。
30年ぶりの坂本先生
ブラタモリで、釜石の鉄鉱石
先日のブラタモリで、釜石の鉄鉱石の生成過程を説明していた。三陸海岸の北上山地の沿岸部に釜石鉱山があり、海底から隆起した石灰岩の層にマグマが上昇してきて、化学反応をおこし、鉄鉱石に変化したという説明だった。
2022年2月21日月曜日
福岡の那珂川紀行:三大遺跡
オンライン会合
昨日は、JITSIのソフトを使って、「よかくさ古賀」のメンバーの、オンライン会合にはじめて参加した。
約1時間の間で、最大6人の参加だった。最初は音声の不調なかたの調整などにてまどったが、次第に参加者の近況報告などで、もりあがった。
3月も同じ時期にまた会合をもつことで、解散した。
2022年2月18日金曜日
孀婦(そうふ)岩(伊豆諸島)
孀婦(そうふ)岩
孀婦岩(そうふがん、そうふいわ)は、伊豆諸島の最南端に位置する岩である。
2016年時点で、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており本籍を置くことはできず、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。
孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス帝国のジョン・ミアーズであった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。
ミアーズは、この岩をその不思議な形から、『旧約聖書』創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった人物に見立てて「Lot's wife(ロトの妻(英語版))」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっており、実際より17度も東にずれているが、その他の部分では正確に記録されているため、測量ミスではなく元テキストの誤記、誤植が原因であると考えられる。
日本語文献では、1885年の『寰瀛水路誌』(海軍省水路局刊)に初めて「孀婦岩」の名が現れる。「孀婦」とはやもめの意味であるが、これは「Lot's wife」を意訳したもので、やがて音読して「そうふ」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。
日本放送協会(NHK)や産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している。
頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。
これらの調査で、過去に海底火山が出来たあとに、中央部にマグマの急上昇があり、その部分が、孀婦岩として残っていると思われる。
2003年に活火山の基準が見直された際に、新たに活火山に選定された。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6 km、水深240 mには火口がある。海底から海上に及ぶ形状は、ケーキに立てられた1本のろうそくにも例えられる。
その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に日本山岳会東海支部の池沼慧らが登頂を目指して上陸。しかしメンバーの転落事故により半分ほど登ったところで断念した。
その後、1975年7月21日に早稲田大学岳友会の水野生雄と田村俊輔が初登頂に成功した。
2017年5月には増本亮らクライマー2人、NHKカメラマン2人の計4人が上陸に成功している。
しかし安山岩はもろく風化しやすいので、やがて「孀婦岩」は崩壊して消滅する運命にある。
「山海経」
世界最古の地理書といわれる「山海経」(海内北経)に「漢初期」には朝鮮半島南部が「倭」と掲載されている。
「北倭記」(倭人興亡史)に掲載されている年表。
又、西暦247年には卑弥呼の死、壱与の即位と書かれている。
神武天皇と卑弥呼の崩御の年時差が13年だが、真実は?
2022年2月17日木曜日
日本書紀
2020年は日本書紀が出来て1300年。つまり歴史時代1300年である。
2022年2月16日水曜日
海苔の生産
有明海苔の生産最盛期で、テレビでもよく紹介される。
昔はすべて手作業で、一枚ごとに手漉きで作られ、乾燥されていた板海苔も、今は殆ど機械化されているようだ。
ただ手作業時代のまま機械化されているので、機械の故障も多いようで、メーカーの人が常駐して故障修理をしているという。
ペースメーカー
友人はペースメーカーを入れたらすぐ元気になったが、家内の場合はそうでもない。