2016年5月27日金曜日

地球型惑星

太陽系惑星


太陽系惑星の中では地球と金星が、大きさや密度が類似している。その他、密度が近いのが火星と水星である。

水星金星地球火星の4惑星は、主に岩石金属などの難揮発性物質から構成される惑星で、地球型惑星または岩石惑星、固体惑星とも言う。

太陽系のうち、これらの惑星が位置する領域は太陽に近く、内太陽系と呼称する場合がある。

木星型惑星天王星型惑星と比べ、質量が小さく密度が大きい。


惑星科学の観点からはも性質上「地球型惑星」の一種として考えられることが多いという。

しかし惑星の定義としては衛星が明確に除外されており、「惑星」の分類としての「地球型惑星」を言う場合、月については触れないのが普通である。

2016年5月26日木曜日

金星探査の歴史

金星探査の歴史

             (放送大学講義やネットなどより)
金星は地球とほぼ同じ大きさの地球型惑星で、暁の明星として知られています。

人類による金星の探査は、ほかの宇宙開発同様、アメリカとソ連の競争ではじまりました。
冷戦中の宇宙開発一番乗り競争といえば、ソ連が人工衛星打ち上げ・有人宇宙飛行でリードし、アメリカが有人月着陸で追い抜いたと言われます。
ところがおもしろいことに、金星探査に限ってみれば、立場が逆転しています。
ソ連は1961年に「スプートニク7号」を打ち上げて金星を目指しましたが、ロケットが故障して軌道に乗ることができませんでした。その後「ベネーラ(ロシア語で金星)」などの探査機を立て続けに打ち上げたものの、相次いで失敗。先に金星への接近を果たしたのはアメリカの「マリナー2号」で、1962年12月14日のことです。マリナー2号は金星が高温で過酷な環境であることを明らかにしました。

ソ連はようやく9機目の「ベネーラ2号」で、金星フライバイに成功しました。1966年2月27日のことで、距離は2万4000キロメートルでした。3月1日には「ベネーラ3号」がカプセルを金星に命中させたものの、2号3号ともに地球へデータを送信することはできませんでした。一方で1967年10月19日にはアメリカの「マリナー5号」が金星の気圧を測定しています。
しかし、1970年12月15日、「ベネーラ7号」が初めて金星に軟着陸し、気候の測定にも成功しました。金星の過酷な環境を知ったアメリカは、周回軌道からの観測を計画の中心に据えました。
その間、「ベネーラ」シリーズは合計8回も軟着陸を果たし、金星表面の撮影や岩石の成分分析がなどが行われたのです。

地形図を作り上げた「マゼラン」

マゼランが撮影した「パンケーキ」
マゼランが撮影した、地表のレーダー画像。「パンケーキ」と呼ばれる地形が写っている(提供:NASA/JPL-Caltech)
金星が超高温・超高圧であることまではわかっても、その分厚い大気と雲のおかげで、表面の地形は見通すことができませんでした。そこで、アメリカはレーダーを搭載した探査機「マゼラン」を1989年に打ち上げました。電波は雲と大気を通過し、地面にぶつかるとはね返ります。これを利用すれば、表面の地形が描けるというわけです。
「マゼラン」は1990年8月10日から1994年10月11日まで金星を周回し、表面の98%をカバーする地図を作り上げました。


金星表面の大部分はゆるやかな平原で、火山でできた地形が多いことがわかりました。中でも特徴的なのは、「パンケーキ」と呼ばれる地形。粘りけのある溶岩が吹き出た後に、大気圧に押しつぶされたことで形成されたようです。



表面のクレータの数が地球より少ない

大気の謎に迫る「ビーナス・エクスプレス」

VIRTIS分光器による金星の南半球の画像
ビーナス・エクスプレスが撮影した、金星の南半球(疑似カラー)(提供:ESA/MPS, Katlenburg-Lindau, Germany)
2005年、「マゼラン」以来となる探査機「ビーナス・エクスプレス」を、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)が打ち上げました。2006年5月7日に金星へ到着し、現在も観測を続けています。
「ビーナス・エクスプレス」が観測するのは、金星の大気そのものです。大気が高温・高圧なのも特徴的ですが、実はその上、猛烈な風となって表面を移動しています。その速さは、4日で金星を1周してしまうほどです(金星の自転の60倍!)。 ビーナス・エクスプレスはさまざまな波長で大気や気象を観測して、メカニズムの解明を目指しています。また、金星全体の温度分布マップも作成中です。
金星に到着してまもなく、金星の南極を中心とした巨大な渦が見つかり、研究者を驚かせました。この話題はアストロアーツニュースでも「渦巻く金星大気の観測がはじまった」として解説しています。

2016年5月25日水曜日

栄花物語の臨終

日本最初の歴史物語は『栄花物語』。
一般的には「栄華」、この作品名には「栄花」を用いている。

平安時代後期に成立、正編30巻、続編10巻の、全40巻で、編年体で記されている。
仮名で書かれた初めての歴史書で、時代は59代宇多天皇から73代堀河天皇までの15代200年間。

作品の内容は、藤原道長の栄花を中心とした宮廷社会を記している。藤原道長礼賛に終始して歴史書としては批判精神が欠如している。藤原道長に近い人間の作である。


      30巻 鶴の林 - 道長の大往生 62歳。
鶴の林
九体の阿弥陀仏をまもらへさせたてまつらせたまへり





   わたしは一体でもいいが、このような臨終を迎えられるかな

五代友厚:大阪に墓と五つの銅像

    明治維新後の大阪を活性化させた実業家:五代友厚。
    その業績のおもなものは、智恵泉によれば次のとおり。

1)大阪株式取引所の創設:

 欧米の株式方式を大阪商人に教えて、新規事業の開発を積極的に行わせた。

2)大阪商法会議所の創設:

  まだ商法設定のない時代に、商業のトラブルを回避するため会議所を創設し、新時代の商業の潤滑な運営をはかった。
会議所発足人名簿
会議開催の跡地

3)大阪商業講習所の開設:
若者の商業知識を高めるため、講習所をつくり若者を養成した。
  サントリーの鳥居氏や野村證券の野村氏などが育った。


4)造幣局を大阪に招聘:

造幣局を大阪につくらせ、金融業の中心都市として発展させた。

5)政府の要人に諌言:
政府要人の不仲を仲裁
政府要人にも積極的に発言し、不仲を仲裁したりした。

6)加島家との縁:
朝ドラで有名となった加島屋とは邸宅が近くだったので、縁があったと思われるが、具体的記録な残っていない。

7)51歳没:墓は南霊園






8)五代の銅像@大阪:
大阪の5ヶ所に銅像
大阪株式取引所前の蔵


鴻艪館跡展示館



筑紫の鴻臚館は現在の福岡市中央区にあり、福岡城敷地内(平和台野球場跡)に位置する。遺構が見つかっている唯一の鴻臚館である。
発掘調査当時、わたしも遺構見学や講演会などに参加した。
今は跡地に鴻臚館跡展示館が建てられており、わたしも一度見学した。昨日教育委員会吉武氏の説明テレビが放送された。
館内の展示品は陶器類がメインである。しかし当時の輸入品は文献によると、下記のように多岐に渡っていたいたようだ。