2014年10月16日木曜日

八角形の斉明御陵

歴史秘話ヒストリアの番組は近頃俗説をかき集めたような内容が多かった。しかし昨夜の奈良の古墳の話は最近の研究成果が盛り込まれていて、興味深かった。
斉明(皇極)天皇は、桜井市の段ノ塚古墳(舒明天皇御陵)に合祀されているというのが、現在までの歴史的定説であった。
昨夜の番組では、飛鳥の牽牛子塚古墳に埋葬されているだろうという新説がだされた。これは国史跡ではあるが、あまり有名な古墳ではなかった。
どちらも八角形の墳丘墓で、七世紀中葉から八世紀初頭までに即位した大王に限って八角形が採用されている、数少ない形である。
私が読んだ伊達宗泰、白石太一郎氏などの本には牽牛子塚古墳が斉明御陵の可能性があることなど記載されていない。
昨夜の話では牽牛子塚古墳の石室は、凝灰岩の巨石をくりぬいて二室が構成され、床面には棺台が彫りだされ、二重の閉塞石をもつ横口式の石槨で、高級な副葬品の破片がみつかったという。
一方段ノ塚古墳は江戸時代のスケッチ図が残っていて、石室は一室だったらしい。これは日本書紀の記述の二室と異なるので、牽牛子塚古墳のほうが斉明天皇の御陵に近いということを主張していた。
斉明天皇が巨石加工を好んだことが話しの主流だったが、飛鳥の地は斉明天皇が愛した地だから、本人の希望をかなえるのなら、飛鳥の牽牛子塚古墳のほうがふさわしいだろう。
その他にも、この近くの岩屋山古墳説、高取町の車木ケンノウ古墳説などもあるので、真相解明はいつになるかわからない。
九州朝倉の地でなくなったので、朝倉にもその御陵という丘があるが、仮の埋葬場所だったのだろう。

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