2014年10月6日月曜日

黒田節の由来

昨日、博多の那能津会(博多古謡愛好会)の会長をされている岡部定一郎さんから、黒田節の由来を聞いた。
雅楽の越天楽のメロディーにさまざまな歌詞を当てはめて歌う越天楽今様が元になっている。元々は「筑前今様」と呼ばれた。七五七五七五七五の歌詞が基本となっている。
 いろんな歌詞があり、博多商人や福岡藩の武士たちに歌われていたが、黒田長政公の家臣・武将母里太兵衛が福島正則邸で、殿様に酒を勧められ、見事飲み干してしまい、褒美に殿様自慢の槍を貰うという逸話に基づいた歌詞が、代表的に有名になった。
  「筑前今様」と呼ばれていた頃の歌詞は、高井知定の作詞で、「のめのめ酒を 呑みこんで 我が日の本の その槍を 取り越しほどに 飲むならば これぞ真の 黒田武士」という。
 地元の清酒「萬代」のCMソングとして類似の歌詞のものもできたらしい。
ちなみに、2番で唄われる「皇御国の武士は」の歌詞は加藤司書の作詞である。
 那能津会には明治初期うまれの人が唄った声が録音されているが、今より抑揚が少なく地味である。
昭和3年の暮れ、NHK福岡放送局の前身「演奏所」の時代に、赤坂小梅さんの唄声で放送されたとき、「筑前今様」ではわかりにくいので、この題名を「黒田節」と井上精三さんが名付けた。
その後この人気芸者歌手の赤坂小梅によってレコード化され、1942年(昭和17年)5月20日にコロムビアレコードから発売され全国的に有名になった。 戦時中は「黒田武士」というタイトルで吹込まれ、戦意高揚うたとされた。
  戦後1950年(昭和25年)5月20日に歌詞を一部変えて再発売された。吹込んだものは総て「黒田節」の題である。
戦後、福岡県出身の藤堂輝明の詩吟・浪曲入り黒田節が出て、戦後の普及版となった。



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