2014年11月11日火曜日

筑紫舞

現在、宮地嶽神社につたわる筑紫舞。
その始祖は阿曇磯良翁で、志賀海神社の御祭神を祖にされる方で、志賀海神社には阿曇磯良も祀られている。
日本書紀によると、安曇族の始祖、安曇大浜宿禰が、273年海人の宰に任命され、海人たちの統率者となったという。この時期は九州地区に於ける安曇族の初期全盛期であったといえる。
大浜宿禰は応神天皇3年各地の海人(あま)がさわいで命にしたがわなかったのをしずめた­という。以後海人の統率者となった。福岡市の海の中道北端に大岳丘陵があり, ここには、筑前風土記逸文に出てくる大浜宿禰を祀る大嶽神社が鎮座している。]
磯良大浜宿禰の関係は不詳だが、同じ時代の人物であろう。
古代の芸能のもとは、磯良翁が舞ったとされる細男舞や田楽舞で、これらを元にした猿楽舞がある。これが能楽(観世・金春・金剛・宝生)の4派に発展。
古代での筑紫舞は、神様の前の芝生を舞台に、夜間に松葉の篝火の照明で舞う演技であった。
舞台で演じる演技を芝居といったり、能舞台の背景に松の絵が描かれるのは、その名残である。
現在でも薪能という能楽があり、安曇の芸能集団の伝承が息づいている。

宮地嶽神社での筑紫舞1
宮地嶽神社での筑紫舞い2
宮地嶽神社の先代宮司浄見学氏が昭和11年頃、筑紫舞と宮地嶽神社の深い縁をもとに伝承活動に取り組みはじめて、今日にいたっている。
家内が且て西山村光寿斉門下に入門して習っていたが、今は足腰が悪くなり、すっかり忘れている。

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